真のありがとうございます 

新・勉強会のお話」に戻る

 
  

 幸せというのは、常に新たなる無限の無限の幸せが、無限に無限に一杯って与えてもらっている。
この無限の幸せというだけでも大きい。なぜ、無限の無限の幸せって二つ続けるのか?この意味は?
まず幸せというのは、顔が全部違う。無限の幸せがあったら、幸せの顔が全部違う。
そしたら、無限の幸せだけでいいのかと言うと、入れ子構造になる。
幸せそのものが入れ子構造になると、やっぱり無限の無限の幸せになる。重層構造になってもそう。色んな幸せが重なり合う。
これも重層構造の無限の無限の幸せになる。それが全方向に満ち渡る。それで無限に無限に一杯という。
全方向に満ち渡って、全方向でも奥が見通せていない。だから、一つの一点の奥、無限の彼方まで、
ところてん式にずーっとつながっているという、これを捉えないとダメ。そこに幸せがある。

それで、無限の無限の幸せで終わらない。それが全方向に無限に、ところてん式に無限に、奥に無限に、
全ての幸せをまとめて一つにして、そこにある。まず幸せそのものが、新たなる無限の無限の幸せが、無限に一杯というすがたをとる。

次に、与える側。与える側、受ける側が両方いる。その幸せをいかに与えるか。与えて幸せを感じる。
どれだけ与えたか、与えただけの幸せを感じる。与える幸せの程度が、量が、全部違う。
だから、みんなが与える側に立って、色んな与え方をする。その全てを束ねて、本当の与える側の新たなる無限の幸せが、無限に無限に一杯。

次は受ける側。受ける側の幸せも全部違う。人の受けている幸せは全部一人ひとり違う。色んな幸せを感じている。
また人間だけではない。動物も植物も、何もかも全部そう。みんなそれぞれが、色んな幸せを受けている。虚の世界も真実の世界も全部そう。
だから、受ける側の幸せも、全部束ねたら、新たなる無限の無限の幸せが無限に無限に一杯。
幸せそのものと、与える幸せと受ける幸せと、全部一つにして、真の神さまの幸せ、無条件の幸せ。

だから、どれだけ奥深いか。想像を絶するか。ただ言葉で新たなる無限の無限の幸せが無限に無限に一杯と護摩木を書いているけど、
この本当の意味を直接把握する、直観することがどれだけ大変なことか。それを出来る自分が真の自分。本当の本心の自分。
本当の無条件の幸せの自分。新たなる無限の無限の幸せが、無限に無限に一杯という言葉に、それだけの深い意味を込めている。
それを順番に、本当に実感していかないと。本当の実感が大事。だから、祈り続けないとダメ。言葉通りになる。
それも与える側の祈りが必要。真の神さまの側に立った、与え続ける祈り。

支えるというのは、外から倒れかかったものを、棒を当てて支える。この外からの支えは、本物ではない。
中からの支えでないとダメ。中からというのは、一番の中は、絶対の中心。
絶対の中心から真の神さまを与えて、芯柱を入れる、本当の支柱を入れる。これが真の支え。
それが大きいものも小さいものも、全てに対して、実の世界も虚の世界も、全てに芯柱を入れてあげる。
そしたら、本当の独り立ちした、それぞれの幸せがそこにある。こういう支え合う祈りの実行って、やっぱり大事。
これが真の祈り、真祈り。それも、秘奥義の祈りになる。

常に、一瞬一瞬新たに、絶対の中心から。全ての全てに対して。真の神さまを、真のプラスを、一大循環の相象(すがた)密かに与え続ける。
そして中から、真の神さまという支柱を与え続けて、支え続ける。支え合う。これが本当の支え合う祈りになる。
これが本当の祈りの目的。自分とは何か人生の目的とは何かみんな、一番大事な問題
みんな悩んで悩んで、本当の答えを探し求めている。

真の自分は、真の神さまが真の自分。そして、真の神さまの目的は、全て自分自身を、真の神さまを与え続けること。
これに気付いたら、真祈りが本当の人生の目的。心が本当の意味で安らぐ。無条件の安らぎになる。
これも条件付きではない。無条件の安らぎ。条件を付けたら、有限になる。
無条件というのは、無限の無限の○○が無限に無限に一杯というふうに、有限でなくなる。本物になる。


(平成25年10月12日のお話 第1部A)