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 五感六感は、直感。肉体の側から見ると、五感というのは、生きていく上では、やっぱり大事。
五感とは、五つの感覚。目・耳・鼻・味、肌で感じるのもそう。目で見るだけではない。
五感という感覚で、感じるのが全部そう。どういう感じ方をするか?直接ぱっと感じるだけの感じ。
観察の観というのは、しっかりと見つめて、自然観察も同じだけど、その違いを全部明らかに見ること。五感六感の場合は、それはない。

同じ直接感じると言っても、直感の方は、例えば、太陽の光を直接感じた。これも直感かもしれない。
でも、霧を通して、霧といったらまた六感の方。霧を通して感じた太陽は、ぼやっとする。
更に、色眼鏡を通して見た太陽とサングラスをかけて見た太陽って、どちらがはっきり見えるか?
色眼鏡も、霧も通さずに、直接見た太陽の光は、はっきりしている。だから、そういう直感という意味もある。
でも、これは、真の神さまを知る、把握する、そういう直観ではない。小さい浅いもの。

真の神さまを把握するのは、観察する方の観がいる。同じ「ちょっかん」でも、直接観察して、区別がわかる直観の方がいい。
般若心経に観自在菩薩とある。観自在菩薩は、観音様の観。観音様というのは、本心の自分という風にとれるけど、
救いに立つときに、全てを見て、何を必要としているかをはっきりと区別して観る。
一人一人が何を必要としているかを見極めがつかないとダメ。それを自由自在にできるのが、観自在菩薩、観音様。
そうでないと、救いに立てない。一人ひとりに合わせて必要なものを与えないと救えないから、違いをはっきりと見極める。

真の神さまとは何か?本当に真の神さまを把握するためには、この観というのがいる。
細かいところまで違いが全部わからないと、ぼやっとしていたのでは、まだ観じたとは言えない。
受ける側から見るのと、与える側から見るのとでは、全然違う。同じ感じるというのでも、五感・六感は受ける側から。
だから、神さまのすがたを本当に観じるって、受ける側からでも、観じるという方の観察の方は、大きい深いもの。それでもまだ浅い。
これを与える側から、しっかりと分けて見るのが、本当の観音様の観自在菩薩と同じ意味の直観にあたる。

根本の真の神さまとは何か。どういうすがたを持っているか?一大循環の流れ、相象(すがた)そのものが、何一つ同じものがない。
一つとして同じものはない。そして二度と同じこと繰り返さない。一番大元がそう。
一番入れ子構造的に大きいものが、無限にあったら、全部違う。根本が全部違う大きく違う。
それを順番に入れ子構造的に小さく、縮小してくると、大元が違うだから、縮小したものも全部違う。
お互い比べたら全部違う同じものは何一つない。これが末端まで行って、一個の天照大御神様という風に捉えても、
無限の天照大御神全部違う。一番大元が違うだから、その縮小したもの全部違う。

虚の世界に入る時は、残像。違うものを捉えて、残像として見ても、全部違う。一番大きい残像も全部違う。
これがどんどん小さくなって、模型的になって、おもちゃのような模型になって小さくなっていく。
でも、元になるものが全部違うのだから、本当は全部違わないと嘘。
だから、末端に行って、一番下の無限に小さいものも本当は、大元が全部違うのだから、その模型も、縮図も、全部違う。
何一つ、大きいものも、小さいものも、全部何一つ同じものはない。これが根本。

それで過去・現在・未来と見ていくと、一瞬一瞬、新たに全部置き換えてくる。変化する。
同じものは持続しない。一瞬に変わる。全部置き換えてくる。新しいものばっかり出てくる。その変化もものすごい。
新たに新たに出てくるすがたが、違う。大きい変化があるから、だから全ての全てが、新たなる無限の無限の変化が、無限に無限に一杯。
新たなる無限の無限の違いが、無限に無限に一杯という風になる。その違いをしっかりと見極めるのが、与える側から見た直観。
これが本当の真の直観。神さまそのものを直接把握する直観。この直観が一番大事。
だから、真祈りを祈り続けて、一切の我を消しきって、大きい与える自分になって、初めてこの直観が本物になる。ここを目指す。

閃きとかそういう直観は、虚の世界の浅い小さいもの。午前三時の霊感とかもそう。
昼、みんな生きている時は、思いを一杯出し続けて、霧が一杯立ち込めてくる。煙が一杯。
それで疲れて寝始めたら、守護霊さん、守護神さんが一生懸命心を浄める。そうすると、霧が晴れ、思いが鎮まって、晴れてくる。
その時間が午前三時。その時に一番、少し次元の高いところから、霊感、閃き、導きが降る。
降ってくるのを感じやすいのが午前三時の霊感、閃きという。そういうのを直観という人もある。
これもピンからキリまで程度が色々。分類したら無限に分かれる。これも本当に真の神さまを全て把握して、直接観じる直観ではない。
限定した浅い意味の直観。だから、一つの言葉でもどれだけ奥深いか。想像を絶するくらい深い。


(平成25年10月12日のお話 第1部@)