真のありがとうございます 

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  真の神さまから見たら、全部真の神さまの世界。こことか、あそことかはない。
どこにいても、今ここが真の神さまの世界。言葉通り。ここと他と言ったら、真の神さまからずれていく。
常に、真の神さまの世界って断定する方がいい。全大宇宙と比べたら、地球なんて小さいもの。同じ一点ではない。
それでもまだ、そういう見方は間違いだけど。ここは、真の神さまの世界そのものって断定する方がいい。もう余計なものは、いらない。

まず、虚の世界を掴んだら良くない。過去を掴んだら、引きずられる。この虚の世界でこの世で、色んな問題が出てくる。
その問題を掴んで、解決しようと思ったら間違う。問題を相手にしない。
真の神さまだけ、ありがとうございますと言ったら、その虚の世界の問題を解決したのではなく、答えだけがパッと新たに出る。
虚の世界の問題が解決して、奇蹟的にプラスに変わったのではない。真の神さまがさっと出たらいいだけ。どんな問題も同じ。
問題を解決したらダメ。答えをサッと新たに持ってくるだけ。本当の大奇蹟。だから、答えを言葉にする。

与える側でも、全体に与えようとしないと大きくならない。小さくなっているのは、過去を掴んだ我の自分。
過去を相手にしない。いつも新たな自分って言わないと。新たな本心の自分って言わないと、過去の小さいものに縛られる。
だから、一切の過去は、無関係。絶対の中心から新たに出てきた真の神さまが真の自分。
そこまで行かないと、過去に縛られてしまう。だから、虚の世界のどんな姿も相手にしない。
新たな最高のプラスだけをそこへ加えるだけ、現すだけ。だから、この世のどんな問題も相手にしたらダメ。
問題解決しようとするのは間違い。答えだけがサッと出たらいい。

例えば、何か大事なものをなくしたとする。どこになくしたかわからない。どこへ忘れたか、置き忘れたか、落としたか、わからない。
あちこち探してもわからない。答えだけを持ってきたらいい。
真の神さまだけ、必要なものを的確に与えて下さるって、ありがとうございます一言でいい。
どこを探し回ってもないけど、必要なとこへパッと戻っている。もう途中なんか無関係。
神さまの方から必要なものをパッと与えてもらうだけ。それで、ちゃんと解決する。ありがとうございますだけで、全部解決。
途中で何かしても無関係。真の神さまの世界からサッと出てくるだけ。全部そう。

どんな必要なものも、さっと与えてもらう。だから、病気でも治そうとしたらダメ、間違う。
必要な完全健康を与えてもらうだけだったら、ありがとうございますでサッと置き換わったらいいだけ。置き換わるも何もない。
真の神さまがそこへサッと出るだけ。だから、真の神さまを与え続けたら、いつも真の神さまだけが出てくる。
そして、全てがプラスだけに変わる。本当の祈り方は、真の神さまだけって断定しないと祈りにならない。

虚の世界では色んな祈り方がある。観世音菩薩を信じると、南無観世音菩薩を一心に唱える。
どれだけ危ない目に遭っても、南無観世音菩薩って、一心に唱えたら全部マイナスが消えている。瞬間に消えて無くなっている。
観音様だけがそこに現れている。南無阿弥陀仏を唱えるのでもそう。
もう、南無阿弥陀仏だけに、一心不乱になったら、ここは阿弥陀様の世界だけ。阿弥陀様だけ。虚の世界がどうのこうのは、無関係。
その言葉になりきったら、その言葉通りの世界がそこにある。それしかない。

だから、ありがとうございますだけを本当に唱え続けられたら、真の神さまの世界だけ。一大循環の世界だけが感じ取れるようになってくる。
ここで、色んな言葉を加えたらダメ。まだダメだとか、小さい自分だとか言ったら、余計な言葉。
余計な言葉は、余計なものをくっつけるから、それを感じ取ってしまう。やっぱり無駄な一言。余計な一言。

 

Q:「真の神さまを与え続けるっていうのは、16項目を意識して、ありがとうございますを唱えたらいいのでしょうか?
どう唱えたらいいのでしょうか?」


A:16項目は、中身をしっかりと確認する意味で唱える。一切の責任を自己に帰すという意味でも、色んな意味に捉える。
だから、その中身が大事。中身をしっかりと捉えたら、真の自分。とにかく、真の自分がありがとうございますを唱えることが、真祈りになる。
真祈りというのも、真の自分がどれだけ奥深い、本物か、その違いによって、真祈りの深さも変わる。
もう常に、真の神さまとは何かをしっかり言葉にして唱えたらいい。真の神さまと真の自分が、分かれていたらダメ。
本当は、真の神さまが真の自分。だから、真の神さまをいかに言葉にして繰り返すかが大事。

神さまは、与え続けるだけ。神さまの本質は愛だから。愛だから、与え続けて循環させる。
静止していているのと、無限のスピードで循環するのと、どちらに価値がある?無限のスピードで新たに循環する方が、無限倍価値がある。
静止していたら、その状態だけ。循環するのは、無限倍になる。だから、真の神さまは、有限ではない。絶対止まってない。
無限のスピードで、その循環も入れ子構造の循環だから、無限の無限、底知れぬ無限。だから、真の神さまといえる。
掴んだと思っているのは、まだ小さい。


(平成25年10月5日のお話 第2部@)