真のありがとうございます 

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 有限や限界はない。常に、無限循環。それも無限のスピードで。これもやっぱり言葉通り。
どれだけその言葉を選んで駆使できるか。自分の選んだ言葉通りに、自分の心をそこに向ける。その通りに感じ取る。

だから、言葉の選び方を一番心がけないといけない。虚の世界でもみな言葉通りになっている。
例えば、若い時にしっかり働く人でも貯金をする。何のためにするか?
老後病気になった時の為に、貯金をしておくという人は、必ず言葉通りなる。必ず病気になって、治療費に使って消えてしまう。
やっぱり言葉。言葉で的を絞っている。マイナスの言葉だったら、マイナスになる。
だから、言葉の選び方は、ものすごく大事。常に、真の神さまと言葉を使っていたら、真の神さまへ心が向く。
そこへ自分を引っ張っていく。途中どうあろうと、真の神さまへ戻っていける。

最終目標だけではない。途中の色んな目的・目標でも同じ。選んだ言葉通りになってしまう。
だから、真の神さまの一大循環の相象(すがた)を感じ取りたい自分だったら、そのつまらない虚の世界の言葉要らない。
ありがとうございます一言がいい。それも真祈りの、秘奥義のありがとうございます。
常に一瞬一瞬新たに絶対の中心から全ての全てに対して、真の神さまを密かに与え続ける。

この密かにというのが大事。真の神さまがあまりにも大きすぎるから、偉大すぎるから、
この密かにというのが、隠れて必要なだけを与えるということだけど、密かにっていう言葉によって、この偉大さを更に大きくする。
本当のお蔭様という。陰の働きを大きくするのが密かにという言葉。今あるもの全部、与え尽くしたというのは、やっぱり小さくなる。
密かに陰でというのが、入れ子構造的に奥深くなる。それで密かにという言葉が必要になる。やっぱり言葉通り。
あまりにも大きすぎるから、密かでないと、入れ子構造的一番上の全ての神さまに対してでも、必要なものを与えるわけにいかない。
与えすぎてしまうから。与えすぎたら洪水が起こる。大津波にさらわれる。それでは幸せを与えたことにならない。
だから、どういう立場に立った人に対してでも、密かに。常に密かにという一言で、自分を更に大きくする。

我というのは、小さい自分だから、虚の世界の一番大きい我でも、真の神さまから見たら無限に無限に小さいもの。
小さい自分を消すのは、大きい自分になったら瞬間に消えている。無い。
自分が大きい自分を選んだら、小さい我の自分、無限の種類の我の自分、一瞬に消えて無い。
だから、今新たに、一番大きい立場に立ったらいいだけ。絶対の中心に立って、真の神さまを与え続ける自分。

だから、一切の責任を自分に帰す、総責任者の自分というのでも、マイナスを自分の責任というのは、小さい我の責任。
全てのマイナスは自分の責任なのだという受け方は、小さい我の自分にとっての責任。
本当の責任は、全てに最高のプラスを与え続ける責任。
これはもう、絶対の中心から全ての全てに、最高のプラス、真の神さまを与え続ける責任が本当の責任。
これも言葉でしっかりと確認しないと、やっぱり同じ言葉を使っていても、責任の中身が違う。

一切の責任を自分に帰す、総責任者の自分と言ったら、多分みんな最初は、マイナスと思っている。
その時の自分は、マイナスを掴んでいる自分。真の神さまをしっかりと掴んでいるのではない。
マイナスの方を掴んでいる自分だから、一切の責任は自分といっても、マイナスの責任の方をしっかりと選んでしまう。

でも、与える側に立った自分だったら、最高のプラスを与えるために、全責任を持つ。
ここでも同じ言葉を使っても、中身が変わる。一つの言葉の中身を言葉で確認するのが大事。
ありがとうございますは、虚の世界の一番下から真実の世界の一番上まで全部に通用する言葉だけど、
その中身が何かというのを、一言のありがとうございますを使いながら、言葉で確認していかないとだめ。

最初は、ありがとうございますは、求める心のありがとうございます。次に、受ける心のありがとうございますになって、
与える心になって、更に支える心になって、支え合う心になって、大きく分けて5つある。ありがとうございますの中身が変わる。

全て言葉だけ。言葉通りに全部なる。だから、真祈りだけでいい。真の神さまを与え続けるだけ。
真の神さまだけ。真のプラスだけ。真の支え合いだけ。断定的に言葉を使えばいい。
それだけを感じ取る自分に必ずなる。真剣に唱えたら、短時間でなる。
選び続ける自分でないと、同じものを感じるのだから、まず言葉通りに自分がなる。
その言葉通りの自分に、波の合う、同じ本質を持つものを感じ取る。

真の神さまを感じ取る自分は、自分が真の神さまにならないとだめ。同じものでないと、感じない。
言葉が違ったら、その言葉通りに波が違うから、感じるものが全部違う。
だから、一回一回、無限の中から一つ言葉を選んで、それをしっかりと真剣に唱える。それだけが全て。
真祈りを祈れる自分は、無条件の幸せが無限に無限に湧き上がる自分。あとは何もいらない。
虚の世界、肉体人間としての自分は、無関係。新たな自分は、真の神さまそのものの自分。比較になんかならない。
全ての幸せを自分のものにする。小さい幸せではない。無条件の幸せって、全ての幸せが自分の幸せ。
これが無限のスピードで湧き上がる。吹き上がる。ここまで行かないと、自分を小さく落としてしまっている。言葉の選び方が小さい。

だから、言葉選びだけ。これだけを心掛ける。真の支え合いだけ。ありがとうございますだけ、一言でいい。
 

(平成25年10月5日のお話 第1部A)