真のありがとうございます 

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 我を出すというのは、余計なことをしたの。掴んでしまったとか、過去を掴んでしまったとか、止めてしまった、余計なことをしすぎた。
これが我。その努力をして、力んでというのが、間違い。
神さまが全部してくれているのにお任せして、御心のままに、自然体で生かされるままに、動かされるままに、
本当に随神(かみながら)、神催し、神任せ。元の自然な姿に戻るだけが正しい生き方。常に全体が一つ、完璧な一つ。
もう一回言葉で、確認すること。

虚の世界の色んなすがたにも、真の神さまの真実の姿が映っている。
我の心の、思いの心のマイナスだけが、色眼鏡になって投影されたり、鏡に映っているのではない。
根本は、真の神さまのすがたが映っている。投影されている。我の思いのマイナスは、ちょっとだけ加わっているだけ。
だから、虚の世界でも、学びは一杯ある。真の神さまを勉強する学びの材料が一杯。無限に一杯。
ただ小さく部分だけ見ていたら、わからなくなるから、全体を一つにまとめていく。
全てを一つにしていくという勉強は、真の神さまを正しく知る勉強になっていく。

みんなのお蔭で、全てのお蔭で、自分はもう謙虚に、一番下に落としてしまっても大丈夫。
みんながカバーしてくれる。お蔭さまでという言葉は、いい言葉。お蔭でというのは、本当にいい言葉。
みんな隠れて密かに、陰から支えてくれている。みんなが、全体が。それで、自分がその真似事をするだけで、全体に融け入って一つになる。
全体の大きい力を束ねて、受ける働きになってしまう。自分が元に自然なすがたの生き方に戻ればいいだけ。
新たな自分。大きい自分。これはもう全体を一つに見たらそうなる。

 

(平成25年9月28日のお話 第1部A)