真のありがとうございます 

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 まず天照大御神、これは最小単位。無限の無限の大光源。1個の天照大御神様が、大きい光源。
それが真実の世界の最低の1番、最小単位。それを無限に集めると、1ランク上の天照大御神様が生まれる。
全部無限のものを集めたら、そう。その無限に集めた天照大御神様がまた、無限にいる。
その無限の天照大御神様を全部集めたら、また1段階上の天照大御神様。それがまた、無限にいる。それが、上にずっと、絶対の中心まで続く。
この段階は、有限ではない。もう無限と言うしかない。

真の神さまは、その絶対の中心、一番大きいところから必要なものだけをずっと順番に降ろしてくる。
末端までずっと降ろしてくる。1番最低の下が、天照大御神様が無限にいるという世界。
その天照大御神様が放送局のようなすがたをとって、無限のチャンネルの番組を持つ。
その放送の番組が現象の現れの「象」の方のすがた。天照大御神様が本体の方の、木目の「相」の方。
入れ子構造のすがたは、この木目の天照大御神様が、入れ子構造で、本当に複雑に無限に積み重なっているすがた。
根本がその天照大御神様の入れ子構造のすがたを指している。それが本当の入れ子構造。

だから、この原子が、細胞が、人体が、地球が、宇宙がというふうに、この入れ子構造で広がると言うけど、
虚の世界の小さい相似形のすがたの一つの表現。それは、まだまだ入れ子構造までいかない。
相似形という、虚の世界の模型の模型の小さいすがた。それでも、小さいものが相似形で順番に広がるというのも、
入れ子構造を理解するには必要だから、より大きいもの、より大きいものというふうになっているというのが、
入れ子構造の一部を表現している。でも、虚の世界のものでは、まだ本物の入れ子構造は、わからない。

やっぱり、天照大御神様の本物を掴まないと、本当の凄さはわからない。単なる形ではない。
天照大御神様という光源だけど、太陽みたいに形ではない。本当に無限のスピードで循環する流動体だから。
流動体の入れ子構造は、もっと無限に複雑。全部螺旋状に放射されて、複雑に組み合わさるから。
全体が一つの、完璧な一つの流動体。切り分けは、絶対できない。完璧な一つになるから。
そこまで行かないと、本当の入れ子構造はわからない。やっぱり、お祈りを深めて、奥義、秘奥義になったらわかる。

でも、虚の自分は、我さえ消したら、一大循環の相象が循環してくる。あとは、ありがとうございますで、真祈りが深まる。
だから、我を捨てること。本当の自分は、無色透明の自由自在心って言わないとダメ。我の方は、偽物の方。
ちょっと一瞬、形を掴んだと錯覚したのが、思いの自分、我の自分。本当は、何も実態は掴めてない。掴んだと思う錯覚が、我。
無限のスピードで循環する流動体は掴めない。我は一瞬掴んだ、止めて掴んだと思うだけの思いだけ。
その思いの我を捨てないと、本当の本心の自由自在心が出て、直観が冴えてこない。もともと本心は、直観で神さまを感じ取る能力がある。
一瞬に全部を把握する能力が備わっているから。だから、本心の自分に戻ることだけ。それは、我を消したら戻れる。

我を消す方法は、与える心を生きる。さらに、支える心を生きること。支える生き方をとったら、我が早く消える。
与えるだけでは、まだ小さい。まだ、ちょっと与え尽くせない。支えようとしたら、早く我は消していける。
それで、支え合いの練習をすることが一番いい。

 
(平成25年9月21日のお話 第1部@)