真のありがとうございます 

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 人の評価を相手にしたらダメ。人を相手にするようだったら、まだ虚栄心になる。真の神さまだけを相手にする。
真の神さまが自分をどう見てくれるか。それだけでいい。そしたら、もう祈り続けたらいいだけ。

支え合いのお祈りに神さまが合わせてくれる。みんなが、真祈りを祈ろうと、与えるお祈りをしようという風になったら、
それを全部まとめてくれる。神さまは、それを待っている。今までは、もうお祈りと言ったら、みんな神さまに願うこと、求めることだった。
世間のお祈りは、全部そう。神さまに、あれしてください、これして下さいって、願うことがお祈りと、みんな思いこんでいる。
少しましになったら、神さまをプラスに受ける、受ける感謝。これもダメ。与えるお祈りになって初めて、本物。真のお祈り。
この真のお祈りになる人が、なかなか出てこなかった。やっぱり、思いがたくさんあって、我が強いと、この真のお祈りにならないから。
だから、思いが消えて、我が消えて、少なくなって、この本心が出て来てやっと、与えるお祈り。真祈りができるように変わってきた。

本心の心で真祈りを祈る人が、祈ろうとする人が1万人出てきたら、大きい力がある。1つに支え合うというすがたで、出てくる。
大きい力で出てくるから、虚の世界を大きく洗い流す。一大循環の流れを止めていたのを、元の大きい流れの中に入れて、
無限のスピードにまで戻してしまう。流れを元に戻す働きになる。だから、虚の世界がスッと消えていく。

だから、一人や二人では、全体に戻すのは難しい。やっぱり、みんなの自由意思の願いがいる。
1万人願ったら、神さまが自由意思を尊重して、大きい力を奮える。虚の世界の全てを洗い流したいという願いをもって祈る人が増えたら、
もう1万人が祈ったら、大きい願い。神さまの一大循環の世界がすっと出てくる。
100人でも、力がちょっとずつ増えると思うけど、1万人までいかないと。お祈りしない人の数が多いのだから。
真祈りを祈ろう、与える心で祈ろうというのは、みんなを支えようという働きだから、その気持ちがあったら、神さまが応援できる。

 真の神さまが真の自分。神さまの願いと自分の願いが1つになったら本物。支え合おうというのが、神さまの本当の願い。

ありがとうございますを唱えることが楽しいでしょ?幸せでしょ?大きい喜び。
大きい幸せを与え続けていることだから、1回唱えるごとに幸せが大きくなる。ありがとうございますって唱えたら、
また幸せが大きくなって、また、ありがとうございますを唱えたらもっと大きくなる。
1回唱えるごとに大きくなるのが、幸せが大きくなるのが無条件の幸せ。新たなる無限の無限の幸せが無限に無限に一杯って湧き上がる。
無限の幸せでも、無限と言うのは、有限ではないから、どこまでも大きい幸せで、限界がない。

日に日に大きく幸せが変化していかないとダメ。幸せだから、祈る。幸せだから、幸せを与える。与えるから、また大きい幸せになる。
また、その大きい幸せを与えたいから、与える。幸せをどんどん大きくして与える。それが、真祈りのありがとうございます。
そしたら、必要なものをさっと与えてもらう。そうではなく、前もってもう、必要なものが全部整っている。
必要なものが先に入ってくるようになる。必要になったからサッとくるのと違う。必要なものが先に先に入ってくる。全部そうならないと。

今、太陽が必要だから、太陽を作っているのではない。みんな先に先に与えてくる。
空気も、今、酸素が必要だから、酸素を作って与えようというのでは遅い。もう先に循環してくる。
神さまの与える必要なものは、全部先に先に与えてくる。本当は、そうしてもらっているから、気づけばいいだけなのに。
それが、小さくではなく、大きく大きく眺めても、必要なものをすっと与え続けてもらっている。

だから、みんなを幸せにしたい、支えたい、この気持ちが出てきて、みんなを支える力も全部、必要に応じて与え続けてもらう。
与える心を起こせば起こすほど、大きい力が湧き上がる。自分に力がないのではない。必要になったら、いくらでも湧き上がるようにしてくれている。

だから、限定、自己限定はいらない。過去を掴んだ自己限定は、絶対いらない。新たに、新たな自分ほど大きい力がある。
本心の無限力が湧き上がる。過去を掴むから、言葉の縛りで、我の自分になって、自己限定したりするだけ。
だから、新たな自分は、本心の自分は、もう絶対にいつも無限力。自己限定しない自分。いくらでもできる、強い子、よい子。
もう一つ、かわいい子ってつけるの。(笑)

 
(平成25年9月14日のお話 第2部A)