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 家に帰ったら、みんな娑婆の世界で我を生きようとする。小さい生き方。そこへ心を向けただけで、自分も巻き込まれやすい。
それで、小さい自分を生きようとしてしまう。そうすると、支え合いは難しい。
だから、この世の娑婆の世界を相手にせずに、真祈りだけを目的にすると、後は、形の方は、自由自在がいい。

本当は、この世はみんな、あの世の大きいマイナスを軽く済ますためだから、真祈りで大きくこの世の全部を菩薩行に使うこと。
本当の支え合い。枝葉の小さいことで支え合うのだったら、もう巻き込まれやすい。
本当に支え合おうという気持ちの人だけだったらいいのだけど、支え合おうとしない人を巻き込んではできない。
もし家に帰った時に、お互いに支え合おうとする人が何人かいたら、できる。
でも、できない人と一緒に支え合いしようっていうのは難しい。できない。まず、お祈りできる人がいなかったら、できない。
支え合おうという気持ちになっていなかったら、できない。

世間はみんな、お金儲けを考えて、目的が求める心。与える心ではない。求める心だったら、支え合いではない。
支え合いは、もう与えるだけでは小さい、全体を大きく支え合おうというのだから、大きい与え続ける心に戻るため。
だから、求める心や受ける心は、もう早く卒業しないとダメ。だから、もう、世間を相手にしないこと。

世間の全てを菩薩行に使う。大菩薩行に使うというくらいの気持ちがいる。だから、世間のマイナスを見たらダメ。
大きいマイナスを小さく済ませているというくらいの気持ちで眺めないと。そしたら、マイナスに巻き込まれない。

 本当の悟りを求める人は、娑婆に下りる。小さい聖、小聖は山に隠れて、大聖は町に潜むと言う。
娑婆の世界で、町の中で、大きい大菩薩行のために、祈り続けるのはそういうこと。本物の悟り。

 マイナスに巻き込まれたらダメ。マイナスに心を向けたら、巻き込まれるから。
だから、この世のマイナス全部、軽く済ませてもらった、大菩薩行に使ってもらって軽く済ませてもらっているという、
そういうプラスの受け直しがいる。そしたら、どんな人を見ても、大きいマイナスが軽く済んでいると言ったら、その人はプラス。
無限の欲の心を生きている人が、ちょっと欲を出したくらいだったらまだいい。億分の一。お金儲けの会社があってもいい。
強欲な大きい集団が小さく現れて、消してもらっていると思ったらいい。

この世は、やっぱりあの世のマイナスを消すため。軽く軽く消すため。だから、真祈りを祈って、菩薩行に使っている。
もうそれだけに徹底しないと、巻き込まれてしまう。しんどくなったら、ここへ来るのよ。巻き込まれずに済む。
普通世間では、巻き込まれっぱなしというのもある。でも、離して見られるという風になって、お祈りができると言ったら、すごい進歩。
自分の立場が全然違うところに立っている。大聖は町に潜む。隠れるのよ、隠れるの。潜むのだから。隠れて祈る。真祈りは、秘かなる祈り。


(平成25年9月14日のお話 第2部@)