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 例えばボディビルのジムで、ヒンズースクワットを初めてする人が、1000回しなさいと言われたら、ちょっと出来ない。
途中でダウンする。1000回って言われると。ところが、11000回すると、後の人はすぐ出来る。
あの人が出来たと言ったら、もうその後をすぐにずーっと大勢が続く。みんなそう。
スポーツの世界で色んな記録というけど、1人が記録を破ったら、次すぐ破るというのと同じようなもの。必ずレベルが上がる。
どんなものも全部そう。一人がレベル上がったら、みんなそこへ合わしていける。すぐに波が合っていく。

だから、お祈りも、色んな仕事の能力もそうだけど、一緒に仕事をするだけで、その能力をみんな高め上げてもらえる。
支え合いの気持ちになった時はそう。一つに融け合ったら、以心伝心で、高い能力の人の心がスッと移る。そうすると、スッと身に付く。全部そう。

支え合いの中で一番能力が開発されて伸びる。だから支え合いが必要。一人でありとあらゆる能力を身に付けるのは大変。
でも、能力のある人の中へ入ったら、周りの人の能力を全部自分のものに吸収できる。ただ、支え合おうという気持ちが必要。
大きい力を必要としないと、神さまの助け、後押しは入ってこないから。

支えようという気持ちで、大きい力を必要とした時に、必要な力が神さまから与えてもらえる。
それが周りの人の能力を全部吸収するようなすがたを取るかもしれないけど、本当はもっと奥からの神さまの力が流れ込んでくる。

日常生活で具体的なものが一杯問題として出てくるけど、段階がある。それぞれみんな段階があって、順番に段階を追って成長する。
人間は、自由自在にどの立場にも常に、新たに、言葉を定めて立てるから、下から上がろうとするのも、この一つの道だけど、
一番上から降りようとするのも一つの道になる。

全部下から上がらないといけないわけではない。一番上から、舞い降りるように言葉を定めて降りることも可能。
下から上がるのは凡才。凡才(盆栽)教育って、順番に上がっていくのだけど、上から舞い降りるのは天才教育って、天から舞い降りる。
どちらを選ぶかは、みんな自由。ただ下から順番に上がるのでも、上から受けたのをまた下へ、自分が与え尽くしたら、早く上へ上がる。
受け続けるだけでは、なかなか上へ上がれない。やっぱり実力、能力がしっかり身につかない。歯抜けが出来る。
教えることによって、自分の本当の実力が身に付く。それも与えることで、何が必要か見抜ける。与えようとした時に、本当の力が湧き出てくる。
後押しとして入って来る。だから、本当に実力がついて、上へ順番に上がれる。勉強するときは、求めて受けるだけではなく、
与えるために、教えるために勉強すると、早く大きい能力が開発される。

本当に与えようという気持ちになるのだったら、一番上からでもいい。最初から上から、みんなに必要なものを与えようとした方が速い。
末端にまで本当の力がすぐにスッと通ってくる。

だから、本当の支え合いに生きようとした時の方が、色んな能力が速く開発されていく。それも自分だけではない。
周りの人の能力を大きく速く開発できる。何もできない人を助けるのでもそう。
みんなの中へ一緒に取り込んで、みんなで一緒に仕事するだけで能力が出てくる。みんなと一緒にするというのが、神さまの助けを大きく受ける秘訣。
孤立するのは、我が強い時。我を出している時。孤立するというのは元からそう。

でも、その孤立した状態では、絶対に我は消えない。その我を少しでも減らして消してもらおうというのだったら、
仲間へ入れてあげないとダメ。中へ取り込んであげないと。一緒に仕事してあげないとダメ。
我が消えていけないから、みんなに融け入って、みんなを支えようという気持ちになれない。
色んな方便を使ってでも、やっぱり一緒に仕事をしていくように、助けてあげるのも一つの生き方。
また自分もそういう風にしてもらったこともあるはずだから、必ずまた自分も恩返しで、後をついてくる人を助けるためにという意味でも、
順番に一人ひとりを仲間に取り込んでいってあげないと。それで支え合いを目指す。


(平成25年9月14日のお話 第1部B)