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 色んな武道でもそうだけど、奥義を伝授する時は、師匠が弟子に、何を与えるか。自分の全てをそこへ与え尽くす。弟子の中へ入り込む。
そして、伝授する。師匠の持っている全部を弟子に伝授する。そしたら、師匠は、弟子を自分の分身がそこにいると言う。
弟子のところに私がいるという、そういう感覚。

神さまの世界がそう。上の方の神さま、大きい神さまが、下の方へ自分を与え尽くしていく。
そしたら、私の分身が、私自身がそこにいるという風に、全体を自分と見ていく。これが本当の与え方。外から与えるのは違う。
外から何を与えても、相手を変えるのは、難しい。

例えば、守護霊さんが肉体人間を護って、いろいろ助けているけど、守護霊さんの場合は、外からあまり助けない。
どうしてもという時は、人を使って、何か物でも使って、外からの導き、助けもするけど、
本当の助けは、守護霊さんが、その人の中に入り込まないとダメ。守護霊さんの心が、そのままその人の心になって、入ってこないと。
対立していると、守護霊さんの言うことなんか聞けない。守護霊さんが、こうしなさいと言ったからって、実行できない。

でも、守護霊さんが中に入ったら、守護霊さんのしたいように実行できる。これが、本当の守護霊さんの本当の助け。
外から導いて、こうしなさい、ああしなさいと言うのは、守護霊さんの本当の助けとは違う。
いくら言ってもらっても、実行できるのとできないのが一杯ある。難しい実行できないことを言われても、そんなこと聞けない。
でも、守護霊さんが入ってくれたら、全部実行できるようにしてくれる。

だから、外からの助けは、偽物の方。中に入ってこないと。本物が中に入ってきて、本物の助け。
与え尽くしてきてくれて、一体化してくる。だから、本心の自分も、そういう生き方をとらないと。
自分を与え尽くして、大きくなる。外から与えるのは、小さい。根本から、中から大きく与えるのがいい。だから、祈りが1番大事。
表面の枝葉ではない。祈りが根本。祈りが根本を与えている。

虚の世界は、求める心の自分は、外から与えてもらって喜ぶけど、本当の与え方、助け方ではない。それは小さい自己満足。
本心の自分の与え方は、そうではない。元から無条件の幸せ一杯の自分が、自分を与え尽くして来たら、無条件の幸せが湧き上がらないとダメ。
もう何もいらない、無条件の幸せって、湧き上がるようにしてくれるのが本当。
だから、肉体の自分にとって、早く無条件の幸せが湧き上がるようにしてほしいと言うのだったら、
肉体の自分も恩返しに生きて、愛に生きて、絶対奉仕に生きて、与えっぱなす、与え続ける自分になったらいいだけ。
そしたら、本心の自分も、守護霊さん・守護神さんも、与え続けやすくなる。中へ入ってきやすくなるから。自分が早くガラッと変わる。

だから、どんな我の自分が出て来ても、与えっぱなすだけがいい。与える生き方さえとっていたら、そこへ本心の自分が入りやすくなる。
だから、この世の色んな移り変わりの中で、損得なんか考えたらダメ。与えるだけでいい。小さく捉われたら、損得を考えたりする。
何があっても、与え続けたらいいだけ。損したほうがいい。損得考えたら、損した方がいい。与え続けていることになる。
良いことをして、悪く言われるほうがいい。悪く言われる方が、与え続けていることになる。大きく与えていることになる。

自分がプラスを与える、与え続けるというのも大事だけど、マイナスを受け続けるということも、与えていること。
みんなのマイナスを全部、自分が引き受けたら、大きく与えていること。そしたら、与える自分に本心が入ってきたら、すぐに本心と一つになる。
融けあう。だから、マイナスを喜べる人は、すぐに本心に戻る。全然引っかからない。

だから、仕事でも、人の嫌がる、危険で、きつい、汚い仕事を喜んでするだけで、大きく与える生き方をとっている。
そしたら、すぐに本心がスッと入ってくる。幸せな自分になる。だから、マイナスを喜ぶこと。喜び勇んで受けること。そしたら、すぐに本心。

だから、プラスを絶対求めたらダメ。求めるのだったら、マイナスを求めて、七難八苦を求めること。自ら喜んで受けたらいいだけ。
だから、七難八苦を与えたまえって言って、求め続けて、受けて喜ぶこと。すぐに本心に戻る。
人のマイナスを身代わりに振り替えて、取って消すのも同じような意味。大きく与え続ける自分になるために、人のマイナスを背負って消してしまう。
自分のマイナスではないのに、人のマイナスなのに、背負ってしまうって、大きいマイナスを喜んで受けること。
それは、大きくプラスを与えていること。だから、本心がスッと入る。

自分のことは、1番最後でいい。自分のことは何も考えない方がいい。
1番最後でいいというのでも、まだ自分が残るから、自分のことは何も考えないと言うのが1番いい。本心に戻る。我がサッと全部消えるから。

食べ物一つとってもそう。自分が食べたいものを食べたら、求める心。人に食べ物を全部、食べさせたらいいだけ。
人が必要とするもの全部、口に押し込みに行ったらいいだけ。自分は何も食べなくていい。そしたら、みんなが口に押し込みに来る。
極楽世界の食べ方。長いお箸で、人に渡すだけがいい。ご馳走をつまんでは、周りの人全部の口へ入れてあげるだけがいい。
自分の口に入れようと思ったら苦労する。入らない。自分のことは何も考えないのがいい。
そしたら、自分のした通りに、周りの人が全部してくれたら、無限倍になる。常にそう。神さまの世界は、そういう世界。

だから、いかに与えっぱなすか、与え続けるか。与えるとは何か、を考えること。
同じプラスを与えるのでも、必要なだけを与えるのが正しい与え方。与えすぎたら、またマイナス。必要なだけを与え続ける。
これも難しいけど。ご馳走でも、一杯与えたら、感謝してくれない。もうお腹いっぱいで、満腹で食べられないって文句を言う。
同じご馳走でも、必要なだけ、少しだけがいい。ああ、美味しかった、このご恩は一生忘れませんって言う。
必要なだけがそう。1番感謝が深くなる状態。

ご馳走でも毎日食べさせたらダメ。同じご馳走を食べるのでも、過去を掴む人は、文句を言い始める。
毎日同じものを食べさせているって。でも、過去を掴まない人は、一瞬一瞬新たにだったら、今必要なものを与えてもらって、
最高の幸せを感じる生き方。だから、常に、新たに新たにが大事。必要なだけ。もうたくさんあったら困る。たくさんあると、循環が止まる。

1番循環を止めている原因は、過去を掴む思い。過去を掴んだ思いが循環を大きく止めるから、過去を絶対掴まないこと。
そのために、新たな自分、新たな自分。常に新たな自分から出発。それで、できるだけ大きくだから、絶対の中心に立つ自分。
あまり大きくなりすぎたら、形がない。無色透明。大きいから形がない。小さくなったら、形があって、透明感もなくなる。
透明人間は、どんないたずらをしてもいい。どんないたずらをしても大丈夫。正体がわからない。いろんな透明人間が一杯いる。


(平成25年9月7日のお話 第2部A)