真のありがとうございます 

新・勉強会のお話」に戻る

支えるという言葉、支え合いという言葉の本当の意味って奥深い。同じ支えるというのでも、真の支えるというのと、
虚の支えるというのがある。支え合いもそう。真の支え合いと虚の支え合いがある。

言葉の定義、解釈が色々。まず、支える、真の支えるとはどういうことか。
人っていう字がある。倒れそうなのを支えるから、人だという。これは虚の解釈。筋金が入っていたら倒れない。
だから、寒風の吹きすさぶ浜辺の松の古木ってすごい。本当に傾いている。海からさーっとものすごい風がふく。
風速何十メートルからの風が吹き続けて寒いし、枝もさーっとなびく。そういうのを見たら、傾いているけども強い。
少々強い風が吹こうが、雪が降ろうが、びくともしないくらい。筋金が入っている。
ところが、暖かいところで育った木なんて、ちょっと雪が降ったら重みで折れてしまう。倒れてしまう。この筋金入りというのが何か。

同じ支えるというのでも、弱い人を支える。これは、意味が違う。虚の意味。真の支えるというのは、中に神さまが入ってくること。
真の神さまが入ってきたら筋金入り。だから、一人ひとりに、真の神さまがいかにどういう風に入って来るか。
ただ真の神さまというのは、ちょっと無限に程遠いから、直接すぐにというわけにはいかないかもしれない。

最初は、例えば、肉体人間にとっては、守護霊さんが入ってくる。守護神さんが入ってくる。本心の自分が入ってくる。
最後に真の神さまだけど、もし守護霊さんが入ったらどうなるか。守護霊さんの能力が全部出る。
普段は、過去からずーっと積み重ねた色んな思い、我が肉体を操って動かしている。
でも我ではなく、守護霊さんが入ったら、守護霊さんの能力がそのまま出る。

どういう時に守護霊さんや守護神さん、本心、真の神さまが入って来るか。器が思いで一杯、我で一杯だと入れない。
いくら新しいものを注ぎ込もうと思っても、邪魔する。心の器に汚い水が一杯入っていて、汚れが一杯入っていて、
そこへ新しい清らかな水をいくら流し込もうとしても、溢れてしまうか、全部入れ替えるのに、時間がかかる。

そしたら、きれいな光の水をさっと入れる時に、どうしたら一番早いか。器を空けること。空っぽにしたら一番いい。
パイプでもそう。パイプの中が一杯汚いもので詰まって通らなくなっていたら、これも光が通らない。

器を空っぽにする、パイプをきれいに通るようにするという意味は、与え尽くすこと。過去の全てを与え尽くすこと。
思いを全て、我を全て、与え尽くして捨ててしまえばいい。それが恩返しに生きること、愛に生きること、絶対奉仕に生きること、与えること。
そしたら、自分の心の器の中のものが、一時的に空っぽになる。パイプの中が少しきれいになる。
そこに守護霊さんがスッと入る。守護神さんが入ってくる。本心が入ってくる。そしたら、プラスのすがたがスッと出る。
新しいプラスが入ってこないと置き換わらない。

真の支えというのは、神さまを中へ招き入れること。そしたら、神さまの本当の筋金入りの力が中に入ったら、不動心になる。
だから、弱い人を助けるのではない。真の神さまを中に入れるというのが、支える。

支え合う、の合うというのも、支えたからまた支えてもらうという、お互いが支え合うという意味もある。
これも虚の世界の話の支え合う。真の支え合うというのは、この支えを、全ての支えを一つにまとめること、合わすこと。
全ての支えを一つに合わせたら、大きい支えになる。ちょうど、さざれ石が巌となるような感じ。砂粒が大きい巌に変化する。

建物でも、砂上の楼閣はすぐ崩れてしまう。でも、一枚岩の盤石の一枚岩というのだったら、地震も何も怖くない。
大きい一枚岩だったら、建物は絶対壊れない。地震なんかへっちゃら。
支え合うというのは、そういう意味で、全ての支えを一つにして盤石の支えに変えること。

一人ひとりの真祈りの、真の神さまを与え続ける祈り、これがみんなを支えようとする働き。
そのみんなを支えようとする働き、この支えをみんなから全部集める。真祈りを全て合わせて、一つの大きい支えにする。
無限大の盤石の一枚岩の大きい支え。この支え合いを目指す。

だから根本、一番根本が大切。真の神さまが真の自分。根本を定めて、真の自分でないと、本心の自分でないと、支え合いは出来ない。
支え合いを目指すのは、本心の自分をしっかり生きようとする一大決意。定めていること。本心の自分をしっかり生きますと定めていること。
だから、神さまの応援、バックアップが来る。それを忘れたら、やっぱり過去の思いの我の奴隷になってしまう。

思いが、我があるから、本心を生きられないのではない。反対。本心を生きようとしないから、我が、思いが忍び寄る。
光を灯さないから、闇が忍び寄ってくる。別に闇に力は無い。光を灯さないから、闇が忍び寄る。
本心を生きようとしないから、我が忍び寄ってくる。

だから、本心の自分をしっかり生きようとする一大決意が必要。まだ生きてなくても大丈夫。
生きようとする気持ちがあったら、神さまのバックアップがその自由意志を尊重して出てくる。

本心の自分を生きる一番の生き方は、真祈り。真祈りは、真の神さまを与え続けること。最初は、言葉だけ。
ありがとうございます、と言葉だけで真の神さまを与え続ける。でも言葉だけというけど、これは無限の価値のある大きいもの。
全ての全てに対して、真の神さまを与え続ける。与え続けたら、循環を止めない。本当のお祈り、湧き上がるお祈り、連続したお祈りに必ずなってくる。

与え続けるというのは、もう本心の生き方の本質。本心は与えるだけに生きる。与える生き方を取っていたら、本心。
与えるのを忘れたら、本心を生きるのを忘れている。神さまの愛の働きがそう、与えるだけ、与えっぱなし。
一切の報いを求めていない。与えるだけでいい。

だから、言葉も心も行いも、全て与える生き方をとるだけ。与えっぱなし、与え続けるだけ。そこへ一つに絞り込んで、徹底すればいい。
与えるだけが本心の生き方。支えるのも、真の神さまを与える、与え続けるのが、支える。支え合うもそう。
みんなの与える、支える、真の神さまを一つにまとめる。大きい大きい入れ子構造的に無限倍の大きい支えにしてしまう。
そしたら、一大奇蹟が起こる。これを目指している。みんなが本心の自覚を持って、無条件の幸せ一杯に生きる。
虚の世界に絶対落ち込まない、それを願ってすること。

虚の世界を相手にする必要は、本当はない。虚の世界を相手にして言葉にして何をしても、虚の世界。反対。
真の神さまを与え続けて、隙間なく与え続けて連続させたら、真の神さまの真実の世界だけ、一大循環の相象(すがた)だけになるから、
虚の世界は元から無いから、巻き込まれなくて済む。

だから、本心の自分を忘れないように、支え合いを忘れないように、与え続けることを忘れないように。
まずこれを自分が実行したら、周りの人も実行しやすくなるし、周りの人が実行してくれたら、自分も実行しやすくしてもらう。
だから、自分の与えた無限倍をいつも与え続けてもらう。本当はそう。どんな助けも自分の生き方を無限倍にして与えてもらう。

だから、虚の世界に堕ちて、虚の生き方をとって、我の生き方をとったら、その虚の生き方を、我の生き方を無限倍にして与えてくれる。
本心の自分をしっかりと生きて、与え合いに生きて、支え合いに生きて、本心をしっかり生きたら、本心の生き方のすがたの無限倍を与えてもらう。
ここに本当の自由意志がある。自分が自由意志で選んだ通りのすがたで、真の神さまがバックアップする。
違うものを与えたら、自由意志を縛っている。

その自由意志というのが一番大事だから、自分が選ぶしかない。
虚の世界に、もし転落したら、自分が勝手に転落しただけだから、人のせいではないから、自分の責任で全部そうなっている。
虚の世界から真実の世界に戻ろうとしても、自分が選んで戻るしか方法はない。強制力なんかどこも無い。使えない。
だから、自分の自由意志で選ぶだけ。本当は、自分が選んだら無限倍のバックアップが必ず来る。どんな問題もすぐに解決する。


(平成25年9月7日のお話 第1部@)