真のありがとうございます 

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 みんな、言葉だけで喜んでいる。虚の世界なんか特にそう。言葉だけで幸せを感じる。
言葉だけというけど、本当に言葉に力がある。子どものままごと遊びを見ていたらわかる。遊びでも、もう言葉だけ。
形ではなく、言葉だけで幸せを感じる遊び方。泥饅頭を美味しいお饅頭と言って、食べている。
実際、言葉で幸せを感じて受けている。全部そう。大人の方が間違っているだけ。

もう虚の世界は、言葉だけ。真実の世界に入って、やっと言葉に中身が伴ってくる。
本当の実って、真実が伴ってきたら、言葉以上のものを与えてもらう。実感させてもらう。
単なる物という感覚ではない、本当の光の循環の流れを感じる。言葉だけだと、方向づけるだけだから。
中身が本当の光の無限のスピードの循環にならないと。本当の言葉の、言葉の中身が備わらない。
中身を与えてもらうようになって本物。だから、定義のありがとうございますは、まだ言葉だけの方。
言葉では、真祈りになっていても、中身までまだいかない。

真義になって初めて、一つのチャンネルでも、一つのチャンネルを一瞬に感じる。
例えば、テレビ番組1年分を一つのチャンネルとする。一瞬に感じ取る。一つの天照大御神が無限のチャンネルを持つ。それを同時に一瞬に感じる。
そしたら、その味わい方って、テレビ番組を味わうような感じ方ではない。どれだけ幸せな人生を味わうか?色んな人生を味わう。
もう1個の天照大御神様が放送番組として、無限のチャンネルを用意する。他の天照大御神様は、また別なものを作る。
同じチャンネルではない。表面だけ見ていても、用意されているのは、無限の天照大御神様の無限のチャンネル、無限の無限のチャンネル。
この1つのチャンネルだけでも、虚の世界の全てのテレビ番組のチャンネルを合わせたものの無限倍。どれだけ凄いかわからない。

だから、本心の自分の受け方が、一瞬に全てを感じる受け方だから。
虚の世界は、一瞬に受けられないから、それを無限に伸ばして、時間をかけて受け取ろうという生き方。本心は、違う。
そのまま、一瞬に全部把握する。同じ無限のチャンネルでも、一瞬。無限の無限のチャンネルも一瞬。
それで、入れ子構造の天照大御神様を一瞬一瞬に把握する。だから、同時に全部。これが、本心の自分の全知全能の力。
みんな、その全知全能の力がある。真の神さまの全てを受け取って、味わえる力を持っている。
ただ、与え続けることでないと、受け続けて味わうことはできないけど。与え続けただけを、受け取れる。それで、味わえる。


(平成25年8月31日のお話 第2部@)