真のありがとうございます 

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 我を消す一番の方法。真の神さまとの交流が大事。元々、真の自分は一大循環の世界で神さまとの交流をしている。
神さまから受けたものを全部神さまにお返ししている。これは自分、自分のものって何も掴んでない。与え合いをしている。
交流しているから、常に新しい本心の自分に置き換えてもらっている。だから一切の我が生まれない。

 だから、真の神さまとの交流を常にしていないとダメ。与え尽くし合うというすがたを取らないと。それで、真祈りが必要。
真の自分は、真祈りに生きている。真祈りのありがとうございます、その一番奥の秘奥義のありがとうございます、
これは常に自分が絶対の中心に立って、そこから、全ての全てに対して、真の神さまを与え続ける。その与え続け方が、秘かなる与え方。
自分の正体を隠して、本当に必要なだけを与え続ける。これが真の神さまの生き方そのものだけど、
真の神さまの生き方と同じ生き方を取ろうとするのが、本心の自分、真の自分。それが支え合いのすがた。

一番下から全体を支えるって、ものすごい力が要る。自分は絶対上へ出ない。一番下で、本当に縁の下の力持ちよりもっと下。
そこで全ての力を発揮して全体を支える。必要なものを全てに与え尽くす。支えるというのは、そういう意味。

支え合いに生きる時、どうなるか。支え合いに生きるのは、本心の自分でないと出来ない。
我の自分は、支え合いなんか絶対不可能。支え合いに生きようとすると、まず自分の立場を神さまの立場に置くことになる。
本心の自分を生きようとすることになる。我の自分を生きようとするのではない。
本心の自分を生きようとする生き方に変わるから、だから神さまの助けが降りてくる。
支え合いのすがたの中に、真の神さまが身近に降りてくる。その中で自分を与え尽くしたら、真の神さまとの交流が出来る。

でも、我を無限に溜め続けた人にとったら、真の神さまは無限の彼方。遠すぎる。神さまとの交流を図れるか?図れない。
いくら自分を与え尽くそうとしても、無限の彼方の真の神さまに今の自分を与え尽くすのは不可能。届かない。
いくらありがとうございますを叫んでも、真の神さまには届かない。そしたら我が消えない。新しい本心を与えてもらえない。

そこで大事なのが、支え合いのすがたを取った中へ自分を入れていかないと、与えていかないと、どんな小さい我も消してもらえない。
なぜ、支え合いのすがたをとらせてもらえるかというと、神さまがそうさせようとしているから。
お祈りもそうだし、色んな作業もそうだし、全てにおいて支え合いのすがたをとったところへ、真の神さまが降りてくる。
身近に現れてくれる。だから、その中で自分を与え尽くしていったら、神さまに届く。我の自分を神さまにお返しすることが出来る。
それで消してもらえる。新しい本心の自分を与えてもらえる。本心の自分に戻っていける。
これは真の神さまとの交流が出来る場へ置いてもらえることになる。だから、絶対に支え合いがいる。
真の神さまとの交流を図るために。古い自分を神さまにお返しして、新しい本心の自分を与えてもらうために。

虚の世界で色んな信仰の生き方がある。守護霊さん守護神さんに感謝する生き方、
これも、真の神さまにいくら届けようと思っても届かないから、まず守護霊さんにありがとうございますを捧げる。
守護霊さんに間に入ってもらうわけ。はしごになって繋いでもらうため。
守護霊さん、守護神さんにありがとうございますを捧げるのは、直接は真の神さまに絶対届かない、
間に入ってもらったら届く可能性があるから。また救済の神さまにありがとうございますというのも、届きやすくなる。

我というのは、真の神さまからどんどん離れて孤立していく生き方。過去を掴んで、残像を掴んで、小さく小さくなっていくのが我。
真の神さまから遠ざかる生き方。孤立したら、本当の孤独な地獄。誰一人助けてはくれない。
自分を助けてくれる人が一人も無いというのが、そう。支え合いは、全体が助けてくれる。
みんなが自分を支えて助けてくれるから、幸せが無限倍になる。自分の与えた無限倍になる。
だから、自分が全体を支えよう、みんなを支えようとしたら、その無限倍の助けが全体から来る。だから、生き方一つ。
本心の自分の生き方か、支え合いに生きる生き方か、我の自分さえよかったらっていう孤立する生き方か、どちらを選ぶか。これだけ。

我の自分をどんどん積み重ねたら、どんどん孤立して孤独に陥る。宇宙全体に自分一人ぽつんと置かれたような、
こういう意識になったら、もう地獄よりも苦しい。地獄だったらまだ仲間がいる。一緒に苦しんでいる仲間がいる。
でも、自分一人ぽつんと宇宙にただ一つ意識があったら、苦しい。地獄よりも苦しい。だから、孤立したらダメ。
孤立したら、真の神さまから、本心から遠く離れた生き方。孤立しない生き方を選ぶ。

全ての孤立する我を全部神さまにお返して、消してもらわないとダメ。色んな我が無限に溜まっていても、
どの我に自分が陥るかわからない。それを片っ端から消し続けてもらって、孤立化しない自分に戻らないと。
そのために、今の自分にどんな我が出て来てもいい。この自分を真の神さまへお返しする。与え尽くす。
真の神さまを身近に感じる場を作らないとダメ。

本当は、入れ子構造の相乗効果を起こす護摩焚きの支え合いのすがたもそう。真の神さまを身近に降ろすため。
そこで、ありがとうございますを捧げたら、大きく我が消える。これも我の自分を捧げるのではない。
ありがとうございますを捧げるから、一緒に我がついていって、すっと消える。あくまでも、与えるのは、ありがとうございます。
真の神さまを与え続けないとダメ。つまらないものを与えるのではない。マイナスを、我を与えるのではない。
消してもらいたいからって、与えるのではない。ありがとうございますは、真の神さまを与える。
だから、真の神さまが自分に戻って来る、返って来る。

ただ、真の神さまに届かないと戻ってこない。この虚の世界を、マイナスを掴んで、あの人を幸せにするためにって、
いくらありがとうございますを唱えても、行って消えるだけ。循環もしない。絶対に戻ってこない。いくら祈ってもダメ。
マイナスを相手にしている限り、無理。マイナスを人に与えてもダメ。
その人の奥の本心のその人、一切の我のない無色透明の自由自在心の真のその人に与えないとダメ。
その人に対して、真の神さまを与える。ありがとうございますを届ける。
そこまでいかないと、自分の与えた真のありがとうございますが戻ってこない。循環してこない。

だから常に、真の神さまへありがとうございますを与え続ける。真の神さまは全体。全ての全て、全体。
自由自在心の全てを束ねている。だから、この人にあの人にではない。全てに与えるという意味で、真の神さまへありがとうございますを届ける。
そしたら、真の神さまから無限倍になって、大きく循環して戻って来る。
同じ本心の自分といっても、より新しい本心の自分に戻らないとダメ。新たな本心の自分が大きく輝いた自分。


(平成25年8月24日のお話 第1部@)