真のありがとうございます 

新・勉強会のお話」に戻る

 

 肉体を道具として見るのだったら、道具をどう扱うか?
名刀を使わずに、床の間に飾っておくのが正しいかというと、そうではない。必要な時に、使いこなせないとダメだから。
飾っておくのがいいのではない。必要な時、自由自在に使いこなせるようにしておかないとだめ。もう、全てがそう。
道具ってみんなそう。必要なことに使いこなせないとダメだから。だから、自由自在に何でも使いこなせるようにしておかないと。
どこで、どういう必要性があるかは、本当は予測がつかない。一瞬一瞬変わる。

だから、何でもできるようになっていないと、本当はよくない。どんなことでもできる自分にしておかないと。
心さえ自由自在だったら、初めてのことでもなんでもできる。そこはもう、神さまの知恵も力も降りるから。
循環するから、初めてのことでもできる。でも、過去の体験、経験を掴んで、そこに頼る人は、新しくできない。
部分に捉われているから、神さまの知恵も力も循環しなくなる。だから、自分のできることは、したいことだけしかできない。
そうすると、何が必要かって見抜けない。

やっぱり、自由自在心って必要。絶対、過去を掴んだらダメ。過去に頼るのではなく、神さまの知恵に頼らないと。
必要なものは、神さまの方から流れ込んでくる。全てそう。どんな必要なものも、神さまから流れ込まないと、みんな偽物。
だから、本当は過去のことを言ったらダメ。過去はこうだったからこうすると言うのは、間違い。
神さまの流れをすっと持ってこないとダメだから。それをしないと我も消せない、過去も消せない。虚も消えない。
神さまがすっと現れたら、一大循環の調和の世界。だから、過去を一切相手にしない。新たに、新たに。
新たに、新たに、必要なことをさせてもらう。自由自在に動かないと。

だから、今、何が必要ですかと問いかけないと。これが、ありがとうございます。ありがとうございますは、全托。
全てをお任せする全托。恩返しの行、絶対奉仕の行って、そういう気持ちになるのが、ありがとうございます。
だから、神さまが使える。何にでも自由に使えるようになる。だから、ありがとうございますを真の神さまに向け続けて、与え続けないと。
これが、1番の根本。1番大事なこと。後は、新たに新たにって、神さまを受け直すだけ。
受け直すと言うよりも、神さまに代わって、神さまの願うことを与え続けると自然に循環してくる。
後押しで循環して、無限倍の力が出てくる。

過去を掴んだら我だから、過去を絶対掴まないこと。新たにというのは、やっぱり、与え続けて新たになるから、
大きく自分を与え続けないとダメ。大きい立場から与え続ける。そしたら、我の無い生き方。

だから、色んな角度からの練習、生き方の練習が必要になる。難しく考えたらできない。
難しく考えるのは、みんな、我の自分。本心の自分は、ありがとうございますで、全部神さまにお任せ。
新たに新たに、神さまに動かしてもらう自分。どれだけ、ありがとうございますに絞り込めるか、徹底できるか。

本当は、自分のしたいことをしていたらダメ。全体を眺めながら、支える練習。みんなを助けに回る方が正しい。
本心に早く戻る。何を与えに行くか?必要なものを与えに行くのが正しい。


(平成25年8月17日のお話 第2部A)