真のありがとうございます 

新・勉強会のお話」に戻る

 真の神さまは、全体。全体に与えようと思ったら、真の神さまに与える気持ちにならないと。
全体と言っても、末端の全体ではダメ。真の神さまに向けないとダメ。循環しない。
自分と神さまの交流は、常に真の神さまだけを相手にして、どこを通しても、真の神さまに与え尽くす。
末端からどこから与えるにしても、何を通してもいいけど、最終は、真の神さまに与え尽くす。途中で止まったらダメ。戻ってこない。
真の神さままで届けたら、無限倍になって全部戻ってくる。ここが大事。途中で止めたのは、全部途中でストップする。

何を通してもいい。全体を通してでも、なんでもいいけど、真の神さままで全部、与え尽くす。最後まで与え尽くす。
最終が真の神さまへ届ける、与えるという風になったら、真の神さまとの11の交流。これが本物。真の神さまの全部を受け取れる。
普通は、小さくなると途中で止めてしまう。

例えば、宅急便で贈り物が来たとする。宅急便の配達人に、お礼をしてもダメ。
「ご苦労様、ありがとうございます。はい、これ、お礼です」って渡してもダメ。奥へ、届けないといけない。1番の発信元へ。
発信元へお礼を届けないと循環してこない。もう次は来ない。ストップがかかる。
だから、同じありがとうございますを届けるのでも、1番大もとへ届けたら、贈り物が次から次へと、届けてもらえる。
だから、途中で止めたらダメ。みんな普通は、小さくなったら途中で止めてしまう。
小さくなるほど、途中で止まってしまうから、循環が悪くなっている。

だから、常に大もとまで。やっぱり11の関係。自分と神さまとは、11という関係に置いて、真の神さまへ全てを与え尽くす。
それで、全てを受け直せる。それで、真の神さまだけ。他は相手にしない。真の神さまだけを対象にするのがいい。
どこを通してもいいけど、全部真の神さまの1部、部分。どこを通しても、真の神さまを相手にしたら、真の神さま。
途中だと、小さい偽物になる。

途中で小さく止まっていると、全体が見えない。小さくなったら、全体が見えない。部分だけになったら、他のことがわからない。
他にどういう影響を与えるかもわからない。プラスを与えないとダメなのに与えていないとか、邪魔することも多い。
だから、全体を見られる状態だったら、必要なものをそれぞれに与え続けられる。

だから、常に支える。全体に必要なものを的確に与えるという気持ちで、大きく眺めないとダメ。
真の神さまへ全部お返しするというのだったら、全部、足りないところを神さまが循環して支えて、ちゃんとしてくれるけど、
途中で止まったら、必要な知恵も力も出てこない。部分的なものしか流れてこないから、わからなくなってしまう。
だから、まず、自分が与えないとだめ。真の神さまへ、全体へ。
それで、必要なものが流れ込んでくるから、全体を支える力、みんなを支える力になる。

だから、まず、自分を空っぽにしないと流れ込まない。掴んだものがあったら、空っぽにしてなかったら、流れ込まない。
だから、最初は全部、与え尽くす。どこへ与え尽くすか?掴んだものを与え尽くすのは、やっぱり、神さまに与えないと消えない。
空っぽになれない。過去の溜めたものを誰に与えても消えはしない。人に与えたら、溜まってしまう。自分を空っぽにできない。
そこから何倍にもなって返ってくると、余計に溜まってしまう。

だから、まず、自分の中を空っぽにする意味で、神さまへ向けないとダメ。神さまに向けたら、全部空っぽに消える。
そこへ、必要なものが流れ込んでくるから。必要な力も何でも湧いてくるように与えてもらうから、全体を支える力が出る。
みんなを支える力が出てくる。

だから、常に全体を見て、支えようとして、それを繰り返して本物になる。それで、支え合いという。常に支え合い。いつもそう。
神さまの世界は、支え合いだけ。それも、全体を支えようとする支え合い。部分ではない。部分を支えるのはダメ。全体を支えないと、ひっくり返る。

鼎(かなえ)の三脚と同じ。3本脚があって、お湯が沸いている。煮立っているお湯が、水平にある。
全体を支えるのでなかったら、ひっくり返る。1本脚だけで支えたら、ひっくり返る。だから、部分を支えるのはダメ。全体を支えないと。
いつも全体を支えるという気持ちで、バランスを取らないとだめ。
それで、どの脚を長くするか、どの脚を低くするかって、常に加減しないとダメ。それが、必要なものを与えるという生き方。

だから、常に全体を眺めないとだめ。全体をいつも眺めて、何が必要か見抜かないと。それで、必要なところを支えに行く。
これが、全体を支えるという生き方。小さくなったら、自分のこと、周りしかわからない。
脚が3本あるのに、1本しかわからなかったらダメ。1本支えてもダメ。常に、全体をいつも大きく眺めないと。3本とは限らない。
支える脚がたくさんあるかもしれない。これは、例えだからそういう風に言うけど。大きい全体は、脚がたくさんある。

だから、大きくなるほど、全体へ心を配らないとわからない。やっぱり、周りの一人一人の必要性を見抜くのでも大変。
この人に今何が必要か?欲しいものを与えたらダメ。必要なものを与えないと、プラスを与えたことにならない。
何でもあげたら喜ぶからって、必要とは違う。必要なものを与えるのが、支える働き。これも、難しい。何が必要かって。
甘やかして、欲しいもの与えたら、間違っている。


(平成25年8月17日のお話 第2部@)