真のありがとうございます 

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どんな時でも、危険な場にあっても、ありがとうございますを唱えていたら、色んな神さまが助けに来るから、
その危険を全部排除してくれる。どんな場合もそう。ただ、ありがとうございますを唱えているのが秘訣。
観音様を信じている人は、南無観世音菩薩って一心不乱に唱える。一心不乱に唱えないとダメ。
どんな危険な場合に遭遇しても、その場で一心不乱に、南無観世音菩薩って唱えたら、危険が全部排除される。護ってもらえる。
もうその時だけ一心不乱に唱えたらいい。奇蹟が起こる。でもそれが、日常生活全部ずっと続いた方がいい。
大奇蹟を起こすだけの祈り方が必要になる。

本当は、あの世がこの世の万倍以上の大災害で一杯。あの世で先に原爆も落ち続けている。
あの世で出来たのが映ってきたら、ちょっと一部この世に出るだけ。あの世に万倍の原爆が落ち続けたら、この世で一個出てくるくらい。
あの世の危険なすがたを護ってもらって、消してもらおうと思ったら、やっぱりお祈りしないと助けてもらえない。

だから、背水の陣をしいて、これを消してもらいたいという気持ちで祈るのが、正しい生き方。必要な生き方。
だから、祈り続ける、呼び続ける。それで、消してもらって、奇蹟を起こしてもらって、この世に出てくるすがたをプラスに変えてもらう。
この世にマイナスが出てくるというのは、まだ祈り不足。まだマイナスが一杯出てくるのは、みんな祈ってないから。
もっと祈る人が増えたら、マイナスは出ない。本当は、プラスが出たからいいのではないけれど。まず、マイナスを全部消さないと。
消えていないなら、まだ祈りが足りない。それで、もっと祈って、虚の世界が消えないと。循環が速くなって、虚の世界が無くなってこないとだめ。

だから、プラス、最高のプラスの言葉を選ぶという、これが、ありがとうございますを選ぶこと。
最高のプラスを与えるという生き方。虚の世界の言葉は、全部マイナスを与えている。
ありがとうございますを唱えることは、最高のプラスを与えたことになる。
与える生き方をとろうと思ったら、やっぱり、ありがとうございますを唱えること。
虚のマイナスの言葉、どんなマイナスの言葉も唱えたら、マイナスを与えたことは、奪ったことになる。
求めたことになるから、我を増やす。反対になる。

だから、ありがとうございますを選んで唱えることは、この世の自分にとっては、もう最高のプラスの与え方しかないという風になる。
他の方法では、プラスを与えるわけにはいかない。ありがとうございますを唱えることだけが、本当のプラスを与える生き方になる。
与える自分が、ありがとうございますを唱えたら、早く真祈りになるのは当たり前。
絶対奉仕して、与える心になって、ありがとうございますを唱える。
それよりも、ありがとうございますを唱え続けることが、与える心になりきっている。
その自分が即、ありがとうございますを唱えているから、真祈りに近づく。そしたら、本心の自覚に早く戻って、真祈りの自分に戻る。

だから、肉体の自分も、ありがとうございますを唱えないと。それが最短コース。本心に戻る最短コース。迷っていることと違う。
絶対奉仕がどうのこうのって、迷うことではない。ありがとうございますを唱えることが一番。
唱えていたら、必要なことが何でもできる。自然に必要なところへ行って、何でもしている。不思議にそういう風に導かれる。
必要なところへサッと支えに行くようになっている。ありがとうございますを唱えている人は、全部そう。
我を神さまに捧げきった人は、そう。必要なところへサッと行って、使ってもらう。

だから、ありがとうございますを唱えるか、命を捧げるか。どちらかをしておかないと、神さまの御用に使ってくれない。
だから、一瞬一瞬、この命捧げますという意味で、ありがとうございますを唱える。全托の祈り。
この命捧げますというのもいいけど、ありがとうございますが、この命捧げます、全托します、絶対奉仕に生きます、の意思表示。
だから、ありがとうございますの方が、短い言葉で、自分を捧げ尽くしている生き方だから、ありがとうございますを唱える方がいい。
一回一回、この命捧げますというよりは、ありがとうございますの方が早い。
他の意味が全部、ありがとうございますに含まれている、全ての行がそこに入ってくるから。全托の行だけではない。
全ての行がありがとうございますに含まれるから、同時に、全ての行をしたことになるから、大きく与えたことになる。

だから、真祈りの本心の自分に戻る一番の最短コース。肉体の自分が、ありがとうございますを祈り続けること。これも選ばないと。
もう本当に、真剣に、本当の生き方とは何かを考えて、探して、祈って、それで掴んだら、もう祈り続けないと。
迷うことではない。やっぱり実行。だから、一日ありがとうございますを、少なくとも五〜六万遍唱え続けてこないと嘘。

私は、もう小さい時から実行してきた。何億回になったのも、毎日ずっと祈り続けて実行してきたから。
唱えたら勉強ができないなんてない。唱えながら勉強を全部してきた。仕事も全部してきた。だから、できる。

ありがとうございますを唱えていたら、答えが先に来るから、楽にできた。ありがとうございますを唱えながら、色んな勉強をする。
本を読むのでも、本を全部読まない。必要なところがサッと目の前に出てくるから、必要なところだけ読んだら、無駄なところは読まなくて済む。
何万冊読むのでも、あっという間。必要なものを勉強するのならそう。

どんな本も、必要なことは僅か。本当に必要なことを書いているのは、ごく僅かなところにしか書いていない。
必要なことを勉強する時は、パッと開いたところに、そこに答えが出る。それで、パッパッパッとめくって、一冊終わり。
他の無駄なところを読んでも役に立たないから。必要なことって、全部そういう勉強をする。
読んだ本は、何万冊より、もっと読んでいる。だから、1冊読むのが速い。必要なことがちゃんと入っている。
心に記憶して、道具として用意している。

だから、ありがとうございますを唱えるのが、1番幸せになる。誰が唱えても幸せになる。例外なし。悟りへの最短コース。
これ以上のものは、どこにもない。みんな甘く考えているところがある。これだけ大事なことを教えてもらいながら、まだ本当に聴いてない。
この答えを探そうと思ったら、何億年修行しても無理。何億年探し回っても、どこを探し回っても本当の悟りへの最短コースなんてない。
本当の悟りの道もないのに、最短コースなんてどこにもない。安易に教えてもらったからって、身につくかどうかわからない。

やっぱり、本当に自分が真剣に、本当の悟りを開きたいという気持ちを起こした時に役に立つ。
このありがとうございますの祈りは、本当は、無限の価値がある。
こういう祈りがあると教えてもらうことは、本当は無限の価値があるはずなんだけど、その価値を見い出せて初めて、実行が可能。
ただ、真の神さまは謙虚過ぎて、押し付けてこないから、隠してくる。秘かにって。必要な時に、真剣になった時に、与えてもらう。
だから、真剣になるのを待ってくれている。本当に必要になるのを待ってくれている。その時にサッと与えて、気づかせてくれる。


(平成25年8月10日のお話 第2部)