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 本心の自分は、いつも真の神さまを与え続けるから、受け続けて、味わい続けて、常に与え続けてお返ししている。
与え続けるというのは、お返しし続けている。受けてお返しするというのでは、まだ与えるところまではいっていない。
与え続けるという方は、もっと積極的。真の神さまを与え続けるということは、受けてお返しするのとは違う。
与え続ける方は、受け続けて、お返しし続けて、もっと上。受けてお返しするって、
やっぱり、受けてからお返ししているのは、時間がかかる。でも、与え続けたら、両方全部終わってしまっている。
だから、与え続ける方が、働きがはるかに上になる。お返しするなんて考えないで、与え続けた方が全部お返ししているから。
それで、与え続ける祈りをする。だから、真祈りの中に全てが含まれている。恩返しも、お返しも、与えることも全部含まれている。

本心の自分は元々、与える自分。真の神さまと一体だから、真の神さまが与え尽くす働きだけしかしてない。
自分の全てを与え尽くすだけをしている。本心の自分は真の神さまと一体だから、その同じことをさせてもらう。
だから、与え尽くすだけ。ただ、自分を与え尽くすだけでは小さいから、真の神さまを与え尽くすという、お手伝いに入る。
そしたら、真の神さまと常に一体。


Q:「肉体を掴んだら、虚の自分と言いますが、生きていると、どうしても肉体を掴んでしまいます。
例えば、少しでも安心・自然な物を作って食べたいと畑づくりをしていますが、そういうのも、我だと思うんです。
昨年までは、収穫を邪魔する獣害対策をしていたのですが、それをやめたら、自分たちが食べる物ぐらいは収穫できたんです。
循環するとは、肉体を掴まないっていうこと、我を出さないっていうのは、こういうことかなあと。」
 

A:自分とは何か?肉体を自分と掴むのが間違い。本心が自分で、肉体は大事な道具と思えばいい。神さまのお手伝いのために必要な道具。
道具も大事だから、必要な物を与えて大事に管理することも大切。粗末にしたらダメになる。
神さまの使う道具は、常に手入れして、大事にしてあげないと。必要な物を与え続けて、大事に使わないと。
何でも欲しいものを食べて、贅沢に食べて、健康を害するようだったら、必要な物を与えて管理しているのではない。
余計なことをして、ダメにしている。そのへんはちゃんと、本心の自分だったらわかるはず。
本心の自分は、必要な物を与えて、大事に管理して使いこなす。ただ、肉体が自分と思ったら間違う。常に、本心が自分。
この立場に立って、肉体を大事に使いこなす。

やっぱり、動物も、みんな食べないと死ぬから。本心側から見たら、全体を幸せにするのが本心の生き方。
自分を最後にしてもいい。残り福だけでいい。そしたら、残り福の方に、良いものが残る。一番幸せな物が巡ってくる。
必要な物が奪われることは、絶対ない。必ず必要な物だけをちゃんと、光を込めて残してくれる。
動物が、ありがとうございます、感謝を一杯こめて、残り福に一杯光を込めて与えてくれる。
それが本当に、本心に戻る大きい助けになるかもしれない。
 

Q:「自分の会社だけ利益を得ようとか、とりあえず儲ければいいやとか、どうしてもそういう考えになってしまいがちです。
頑張ってやろうかなという面と、早く卒業させてもらえないかなという面とがあって…何かアドバイスをお願いします。」

A:この世も、本当の菩薩の生き方で、与え尽くす生き方をとる人は僅か。あの世はもっとそう。
あの世の六道の世界って、本当の欲の塊の世界。この世の万倍以上、凄い世界。
その世界をどうしたら、この欲の心を消して、与える菩薩心を起こさせられるか。あの世の会社は大変。
だから、それを消すために、大きいマイナスを消すために、この世へ映し出してくる。この世の会社の方は、まだマイナスが少ない。
軽くしてもらっている。どんな悪いことしている会社も、利益ばかり追求する会社も、あの世の凄いすがたと比較したら軽いもの。
神さまの大きい愛の計らいで軽くしてもらって、あの世を救う働きをしているすがた。
そこへ、もう一つ、お祈りする人が一人入ったら、そのマイナスをもっと万分の一に軽くしてしまう。

どれだけマイナスを軽くして消してもらうかが、大事なの。この世で何か物でも製造して、人に提供して幸せにできている?
そんなこと小さい僅かなこと。それよりも、大きく積んだマイナスを消す方が大事な仕事。
だから、置かれた場で祈ることが、会社で何かする仕事の万倍以上の働き。だから、お祈りだけその場でしていたらいい。
仕事は、何もしなくてもいいかもしれない。お給料だけもらって、気楽な気持ちで、お祈りしたらいい。
お祈りが本当の仕事と思っていたら、会社のマイナスを万分の一に減らしている。この仕事の方が大きい仕事。
だから、お祈りを頑張るだけ。

仕事は、嫌な仕事が一杯ある。でも、本当にお祈りのできる人は、人の一番嫌がる、危険できつい汚い仕事を選んでもいい。
例えば、と殺の仕事なんて、表面を見たら、殺生の罪を犯し続けているような仕事。でも、お祈りする人は、その殺生の罪を全部消す。
殺された動物全部、成仏させる。すごい働き。

だから、おかれた仕事の表面の姿ではない。中身。どれだけ大きい働きをするか。大きいマイナスを消せるか。
枝葉の表面の仕事ではなく、根本。神さまのお手伝いってそう。大きいマイナスをいかに小さく軽く消すか。
だから、お祈りが一番いいね。少々しんどくても、辞めたらダメ。お祈りしていたら大丈夫。
お祈りをすることを喜んだら、無条件の幸せが湧き上がる。

だから、みんな、自分のマイナスを消していると思ったら間違う。違うよ。
あの世の大きいマイナスを、縁者のマイナスを消すお手伝いと思ったら、自分のマイナスではない。お手伝いだから。
大きいマイナスを消すお手伝い。自分に受けないと消せない。大きいマイナスが万分の一でも自分を通過する。
それを喜ぶと神さまの助けが大きく降り注ぐ。

やっぱり、喜ばないと、神さまも使いづらい。喜ぶほど神さまの光が入ってきて、軽く済む。
これはもう、高慢とか、自分を自慢しているという意味ではない。謙虚になったらそうならないと。
謙虚になるほど、神さまのお手伝いと言わないと。自分のマイナスなんて言った方が卑下慢。傲慢。

 自分のことは放っておいていい。相手にしなくていい。他の幸せだけを考えたら本心。
他のマイナスを軽くするという意味も、他の幸せを考えるだけ。そしたら、本心の生き方。
自分のことを考え始めたら、我の自分になるから、損をする。みんなのことだけ考えていたら、本当の本心の働きになるから、大きいプラスの生き方。

みんな少しずつ、マイナスを残してもらっている。マイナスを残してもらわないと、お手伝いできない。
みんな我が消えて悟ってしまったら、本心の世界に戻ったら、虚の世界に救いに立てないかもしれない。
だから、少しだけ残してある。早く卒業しないように。

でも、救いに立つと言ったら、任期が定められる。卒業ではない。役目。だから、その役目は果たさないと。
それも寿命を決めてしているからね。期間を決めてくれている。その間は、やっぱり頑張るのが大事。それを果たしたら、ご褒美が大きい。

Q:「宗教団体を作ったら、だめですね。」 

A:邪魔をしている。我を出して、真の神さまを隠してしまっている。我が出たら、真の神さまは引っ込む。邪魔をしたくないから。
真の神さまは、絶対出しゃばってこない。力があるだけに、絶対出しゃばらないから。
ちょっとでも我を出したら、偽物の神さまが出てきたら、真の神さまは引っ込む。
だから、虚の世界と言ったら、みんな、我の出す神さまの方を偉いと思っている。考え方が正反対になる。
本心の自分は、我の出さない神さまが偉いと思う。でも、我の自分は、我を出す神さまが偉いと思う。正反対に感じる。
我の自分は、自慢してくる神さまを偉いと思ってしまう。
だから、本物と偽物の区別は、自分が本心側に、本心の自分に、本物の自分に戻るしかない。本物に戻って、本物がわかる。
本心の自分、真の自分をしっかりと言葉で断定して、引っ張り出さないと。


 神さまも、虚の世界も、正神界と邪神界と両方ある。高い神様、低い神様が一杯。レベルが低かったら、やくざの親分みたいなもの。
みんな神さま。正神界の正神の神さまと邪神界の邪神の神さまがある。善神、悪神がある。

神さまという言葉の定義が、たくさんある。
神さまというのでも、翔身(かけりみ)の神通自在な色んな働きをするのを神さまと言うだったら、
正しい神通力を使う人と、間違った神通力を使う人と両方ある。悪魔やサタンって、みんな神通力ある
悪い意味のマイナスの神通力だけど。

神という言葉の定義がたくさんある。虚の世界でも五つに大きく分けている。
一番元が、奥に隠れている隠身(かくりみ)隠身の神さまって一番奥の神さま。次は、仮凝身(かごりみ)の創造する神さま。これも神さま。
それで、天照大御神みたいな輝く身の、輝身(かがりみ)の神さま。神通自在の神さま、翔身(かけりみ)の神さま。
この世の全部、形のあるもの全部、この世もあの世も含めて形のあるもの全部、すがたを限定して現す、限身(かぎりみ)の神さま。
この世の形あるもの全部、あの世の形あるもの全部、限身の神さま。そしたら、神さまの中に全部含まれる。
だから、神さまの定義の解釈が半端だったら偏る。意味を掴んだら、全部神さま。程度の低い、高い、色々ある。

虚の世界は、言葉通りにどんな神さまも作れる。生み出せる。それを信じて受け入れている。言葉で作った神さまが一杯。
虚の神さまと本物の神さまは、違う。人の言葉で作った神さまと、元からある本物の神さまは、全然違う。


(平成25年8月3日のお話G)