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この世の辛さなんて、小さいもの。あの世の大きい苦しみを味わっている人から見たら、万分の一。
この世にいる人は、どんな苦しみも喜んで受けるのが正しい。こんなに軽くして、縁者を大勢救って下さっているって。
自分のことを考えたら、苦しい。でも、縁者を救おうという立場に立ったら、どれだけ幸せかわからない。

虚の世界と言っても、あの世の方がこの世より実体がある。例えば、地獄に堕ちた人がどれだけ苦しみ続けているか。
一人の人の苦しみでも大きい。過去を掴んで掴んで、押し潰されたすがたをとる。大きいマイナスに、押し潰されている。
そしたら、その人一人救うのに、どれだけ大変か。その痛み、苦しみを受けたらわかる。小さいものではない。
地獄に堕ちた人は、何億年以上痛み続ける。苦しみ続ける。一日ではない。一年ではない。何億年以上、苦しむすがたをとる。
それを本当に消そうと思ったら、身代わりに受けられる?普通は、そんなこと出来ない。
それを神さまは、循環の大きい流れの中へ取り込んで、軽くして消そうとしている。掴んでしまったものを消すのは大変。
それを循環の中に上手に流し込んで、神さまの世界に戻して消そうとしている。だから、この世に戻してきたら万分の一になる。

この世に出ているのは、あの世のマイナスの万分の一。更に、それを速く神さまの世界に戻したら、軽く消えていく。
真祈りを祈る、お祈りをする人がいたら、もっともっと軽く済む。循環が速くなったら、どんどんどんどんマイナスが軽く消えていく。

だから、この世のマイナスは、小さいマイナス。それを見た時に、万分の一でマイナスを軽くして消してもらえたと喜んだらいい。
この世でプラス・マイナスなんて見ている方が間違い。大きいマイナスを消してもらえたって、この方が正しい見方。

これも自分のことを考えたら、小さく掴むから苦しむ。
でも、与える側に立ったら、神さまの側に立ったら、救う側に立ったら、一番よくわかる。
どれだけ神さまの大きい愛の働きがそこにあるかって。無限に大きいマイナスも軽く、小さく、無難に消している。
消してもらったのに文句を言っている方がおかしい。与える側に立たないと気付かないだけ。
真祈りが祈れるようになったら、よく気付くはず。求める心では気づかない。
早く与える心で祈れるようになったら、神さまの愛がよくわかる。この世のどんなすがたも有り難い、ってなる。


(平成25年8月3日のお話E)