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 一大循環の相象(すがた)がそのまま出てきたら、もうプラスだけ。元から問題なんか何もない虚の世界いうのは、元から無い。
これは一大循環の必要なプラス受けてないいうだけの話。循環を勝手に止めて、神さまのプレゼント受けてないいうだけの話。
だからマイナスがある。そこはプラスがないいうだけ。

形だけ見ている人は、錯覚を起こしている。マイナスがあると掴んでいるけど、違う。プラスを受けていないだけの話。
闇があるというのは、光を受けてないというだけの話。真の神さまは、プラスだけ。光だけ。幸せだけ。いつも与えるだけ。
それを受けたらいいだけ。受ける方法は、与え続けること。与え続けて、受け続けられる。全てを与えられて、味わえる。
与え続ける自分が、本心の自分。祈り続ける自分が、本心の自分。

今まで、我が自分だと錯覚を起こしていた。でも、その我の自分を消し去ろうとする自分が、本心の自分。
本心の自分が出てきたら、我を消そうとする。過去の残像を消しきって、元の自分に戻ろうとする。
一大循環の流れを妨げたこの我を全部消しきろうとする。

だから、色んな我が次から次へと飛び出すかもしれない。過去世の無限の年月の間に溜めた無限の我が一杯ある。
それを全部消しきらないと、やっぱり足を引っ張られる。縛られる。この世でみんな色んなことをするけど、みんな過去世の延長。
あの世で大きいマイナスが溜まっていたら、それを軽く消してもらうために、この世に一杯出てくる。
この世の全て全部が、万分の一の軽さにしてもらって、消してもらっているすがた。

善悪と言っても、そんな小さい表面の善悪の意味ではない。どんなすがたもあの世の大きいマイナスをこの世に現わして、
神さまの世界に送り込んで消してもらっているすがた。だから、マイナスではない。大きいマイナスは、万分の一に消してもらったら、大きいプラス。
消してもらったという大きいプラス。更に、それを神さまのお手伝いによって、もっと軽くしてもらったら、一切のマイナスを出さずに消してもらえる。

それで、お祈りが必要。真祈りを祈る自分にならないと。神さまへの恩返し、絶対奉仕というけど、肉体の自分がするのは違う。
本心の自分がする。肉体の自分がするのは、我の自分がすること。小さくなったら損をする。
何か肉体の自分がしてお手伝いかというと、そうではない。我を出したら、我を積み重ねるから、余計スピードを遅くして邪魔している。

本当のお手伝いは、本心の自分がすること。神さまに全てを捧げて、絶対帰一して、絶対随順して、絶対奉仕する、この「絶対」がつくのが、本物。
絶対というのは、自分を全部神さまに捧げているから、神さまの働きだけだから、絶対。だから、本心の自分の働きになったら、絶対のもの。
真の神さまは真の自分って、この真の自分の働きが、絶対の働きになる。絶対奉仕の働き。

でも、肉体の自分が出しゃばると、邪魔をする。何しても我を出したら、マイナスになっている。
やっぱり大きい意味で我を消す働きの邪魔をしているから。我を消すのが一番大事な、必要なこと。
我を消したら、循環が良くなるから、全体がプラスに早く置き換わる。反対に、我を積み重ねたら、何をしても邪魔していることになる。
 


(平成25年8月3日のお話C)