真のありがとうございます 

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 過去に色んな我を一杯積み重ねている。この一個の我を消すだけでも、本当は大変。
我の自分で我を消そうと思っても不可能。絶対にできない。どんなに消そうとしても苦しむ。痛む。
でも、本心の自分に戻って真祈りが祈れたら、無限の我もスーッと消える。真祈りは、我を消す祈り。
本当は、神さまにお返ししたら消える。神さまにお返ししたら、この命を捧げますと、自分を捧げますとお返ししたら、全部消してもらえる。

ただ、この真祈りは、真の神さまを捧げる、お返しする。小さい我としてのもの、小さいものを捧げる、お返しするのと違う。
新しい最高のいいものをお返しする。そしたら、過去の我よりもはるかに価値のあるものをお返ししている。
大きい価値のあるものをお返しするのだったら、過去のつまらないもの全部が、一緒に消えてしまう。スーッと消える。

もし真祈りがなかったら、小さい我の一つ一つを、神さまに捧げて消さないといけない。それは大変。
一つの我を消すだけでも、大きい苦しみを味わう。もし、自分がこの命捧げますと言って、本当に命を捨てて死んで、消しきれると思う?
死にたくないでしょ?火の中に飛び込める?飛び込みたくないよね。一つの我を消すだけで、自分で消そうと思ったら本当は大変。
その痛み、苦しみは大きい。神さまが身代りに背負って消してくれると言っても、神さまも大変。
一時的にでも、大きい痛み・苦しみを背負わないといけない。背負ってすぐ消せるにしても、一時的には背負わないといけないから。
そういう我を無限に持っているのを消そうと思ったら、大変なことになる。

 だから一切の我を消すためには、みんなが本心側に立って、真祈りを祈ること。そしたら、痛みなく苦しみなく、全ての我は自然に消えていく。
消してもらえる。我が消えたら、一切の問題はない。プラスだけに変わる。問題があるのは、我の自分に問題がある。
虚の世界は全部、相対の両極に分かれて波打つ世界。プラスを手に入れようとしたら、マイナスの支えがいる。
必ず、栄枯盛衰の両極のすがたを取り続ける。栄えたら、必ずまた滅びる。栄えたものは、必ず衰えていく。
虚の世界の全てが、そういう風になっている。ちょうど、あざなえる縄のごとし。上下に動いて、全部上はプラス、下はマイナス。
波打つ世界が全部そう。

細かい波でも、やっぱりプラス・マイナスが起こる。それが大きい波になったら、波瀾万丈。
借金返しのマイナスを消すときの働きがどれだけ大変か。借金返しの苦難は大きい。だから、虚の世界では幸せはない。
我の自分でどれだけ思い通りになって幸せといっても、それは全部借金のすがた。必ず、その反動が来る時に、大きい苦しみを、痛みを味わう。
だから、波を全部鎮めないと。

我の自分というのは、やっぱり求める心を起こす。プラスが循環してこないから、足りないから、求める心に必然的に陥る。
欲の心が強くなる。求める心が波を大きく起こす。波を鎮めるのは、欲を、求める心を全部捨てないとダメ。
でも、我があると捨てられない。だから、いかに早く全ての我を消しきってもらうか。
そのために、我を全部神さまに捧げる、お返しする練習をする。一つ一つの我をお返しするのは大変だから、真祈りを祈らせてもらう。
真祈りを祈ったら、全ての我が消える。また他の人の我も消すお手伝いが出来る。
この世の人は、あの世の縁者が何十万人いる。あの世の何十万人の我も一緒に消える。


(平成25年8月3日のお話B)