真のありがとうございます 

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 神さまの与え方は、常に、新たに必要なものを的確に与え尽してくる。何も心配いらない。
古いものを掴んでいて、幸せになるのではない。常に、新しいプラスを与え続けて下さるから、神さまの愛を信じ切れる人は、何も心配しない。
永遠に最高の幸せを与え続けて下さっている。

だから、条件付きの幸せではない。無条件の幸せを与え続けてくる。条件を付けたら、みんな消えてしまう。
例えば、幸せというのでも、健康だから幸せ、と条件を付けたら、病気の人は幸せではなくなる。
無条件の幸せというのは、病気や健康や、そんなこと無関係。常に、幸せ。ありとあらゆる条件を付けたら、全部崩れる。
どんな条件も無関係に、常に幸せなのが、無条件の幸せ。一大循環の神さまの働きそのものが、幸せを与え続ける働きだから、これも小さい幸せではない。
新たな無限の無限の幸せが、無限に無限に一杯という幸せ。これは、常に与え続けてもらっている。
だから、それを受けて感じ取れるか、味わえるかというだけの話。受け取るために与え続けないとダメ。
与え続けてこそ、受け取れる。受けてこそ、味わえる。

本心の自分に戻って、真祈りのありがとうございますを祈れる自分になればいい。
真祈りのありがとうございますというのは、真の神さまの祈り。真の自分の祈り。祈りというのは、与えるという意味。
真の神さまを与え続けるのが、最高の与え方。真の神さまは全てを持っている。だから、絶対の中心から、最高のものを与え続ける。
これが神さまの与え方。それも誰に与えるか。虚の世界の形を掴んでいる、我の一人ひとりに与えるのと違う。
元から神さまと一体の、悟っている、本当に我のない無色透明の自由自在心のみんなに与える。与える対象も違う。
真の神さまを与えるというのは、悟ったみんなに与えている。悟ったみんなが自分に対して、祈り続けて、真の神さまを与え続けてくれる。
これが本当の支え合い。

支え合いが一大循環の相象(すがた)いうだけど、形を掴んで、我の自分が何かを支えることが出来るかというと、それは絶対不可能。
肉体の自分が、全てを全体を支えられるかって、それは不可能。そんなちっぽけなものでは、何も支えることはできない。
本当に支えるのは、本心の自分。本心の自分が、真の神さまを与えることで、みんなを支える。全体を支える。

 肉体を自分と思っているのは、我の自分。本心の自分は、肉体ではない。本心の自分に戻ったら、肉体はあくまでも一つの道具。
この道具もやっぱり、鍛えぬかないとダメ。刀でも名刀というのは、百錬千磨の鍛え方をしている。
模造刀なんて、型にはめてポンと作ったようなものは、鍛えてないから威力がない。
肉体でも、鍛えぬいた肉体は、本心の自分の使いこなせる名刀と同じ。本心の自分は、肉体を自由自在に使いこなさないと。
それも絶対服従させないとダメ。肉体の自分の欲望に負けて、使いこなせないというのだったら、おかしい。
ありとあらゆる鍛え方をして、本心の自分に素直に、「はい」と従える肉体に変えないとダメ。
そのために、まず自分が本心側に立たないと。本心が自分。肉体は、あくまでも小さい道具の一つ。


(平成25年8月3日のお話A)