真のありがとうございます 

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 地球にはたくさんの宗教の教えがある。すごい数。全部それぞれに違うことを説いている。
でも、何が正しいかって、全部勉強したら迷う。みんなそれぞれ最高っていう風に説いているけど、でもまだ虚の世界の話ばっかり。
真の神さまの世界を説いているというのは、まだ何もない。やっぱり形を掴んで、マイナスをプラスに変えようとか、どうこうしようか、

こういう話ばっかり。形を掴んで見ているのは、虚のすがた。

真の神さまの一大循環の相象(すがた)いうのは、無限のスピードで必要なものを的確に与え尽す、本当に完璧な流動体。
ここはもうマイナス一切ない。それを少し掴んで、これが自分のもの掴んだ時から虚の残像にはまり込んでいる。これが虚の世界
残像を掴んで掴んで、小さくなったのが我の自分。これが自分、これが自分のものって、どんどん小さくなってしまっている。

我の自分というのは、本心の自分からどんどん遠ざかる。幸せな自分からどんどん遠ざかるから、色んな問題が一杯出て来る。
マイナスが一杯になると、このマイナスを何とかしたいと考える。でもそれよりも、全ての我を消しきった方が正しい。
全ての我を消しきったら、真の自分、本心の自分に戻る。元の幸せな自分に戻れる。

自分というのは、形ではない。一切の我のない無色透明の自由自在心。神さまの心そのもの。
この本心の自分というのは、真の神さまを与え続ける、真のありがとうございますを祈り続ける自分。
与え続けないと、何も受けられない。一瞬掴んで自分のものにしたというのは、取っただけ。受けただけ、取っただけ。何も与えていない。
与えてないから、次に与えてもらえない、受け取れない。

元の本心の自分は、与え続ける自分。与え続けるから、与え続けてもらえる。無色透明の自由自在心の自分の中を真の神さまが通り抜ける。
自分を通して与え続けてくれるから、だから、与え続けることで全てを受け続けることが出来て、それを味わい続けることが出来る。
ところが、一瞬でも掴んでしまったら、与えていない。いくら上手に受けても、与えてなかったら止まってしまう。

掴んだことが大きい間違い。それが我になる。掴んで掴んで、我を沢山積み重ねてしまって、無限の我を積み重ねたら、一番下の地獄絵図。
流れが止まって、プラスが循環してこないから。プラスが流れ込んでこないというのが、マイナスが一杯という意味。
だから、我を消してもらうこと。そして、元の無限のスピードで必要なものを的確に与えてもらう、一大循環の相象の中に戻ること。
元から一大循環の相象、神さまの愛のすがたはあるの。与え続けて下さっているのに、自分が我を出して、勝手に受けられない自分になってしまっただけ。

過去に無限の我を積み重ねたかもしれない。その我をどうしたら消してもらえるか。神さまのものを自分が盗み取っただけ。
お返ししたらいいだけ。神さまにお返ししたら、全部消える。神さまにお返しするというのは、循環の中に入れてしまったら、全部戻って行く。
元に戻って行く。また新しい良いものをどんどん与え続けてもらえる。


(平成25年8月3日のお話@)