真のありがとうございます 

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 自分一人が一生命懸けてずっと祈り続けたとしても、十億回も祈れない。
それで本心に戻れるわけがない。自分が戻るためにも、少なくとも一万人のお祈りする人を集めないとダメ。
無限の効果のあるお祈りに変えてもらわなかったら、自分一人のお祈りでは本心に戻れないから、
だから、みんなで協力し合って支え合って本心に戻ろうとするの。自分にとっても一番大事なこと。一番必要なこと。
大勢の人に護摩焚きに参加してもらうということは、同じ相乗効果も、入れ子構造の相乗効果を起こさなかったら、無限倍にはならない。

本当に必要なことは何か、命を懸けて真剣に探さないといけない。甘いお祈りをしていて戻れるのと違う。
真剣に祈っても、自分一人のお祈りではだめだから、足りない。過去世からずっと祈ってきても、何億年祈ってきても、
まだ足りない。本心の自分に戻るというのは、そんな程度の浅いお祈りではいけない。
だから、本心の自分に戻してもらうチャンスは何億年に一回、何億人に一人と言っているのはそういう意味。
それでも、大勢の人が力を合わせて、効果を無限倍にしたら、みんな一緒に戻れる。
早く無限倍の効果のあるお祈りに変えないと、いくらお祈りしていると言っても、浅い小さいお祈りで終わってしまう。
みんなの協力を取り付けないといけない。無限倍にするために。一人でも多くの人に一緒に祈ってもらわないと。
そのために護摩焚きにみんなに来てもらうように頼む。護摩木を書いてもらうように頼まないといけない。

護摩焚きも種類が一杯ある。世間でしている護摩焚きは、虚の世界の神様・仏様にすがって、
マイナスを消してもらう、つまらない御利益信仰で願いを叶えてもらう、こんなつまらないもの。
それで、虚のマイナスが消えて、少しプラスが増えても、幸せでも何でもない。まず、目的が全然違う。
真の神さまの助けを受けるというのは、そんなレベルではない。虚の世界なんか神さまは相手にしない。
本当の幸せを与えようとする。本心の本当の自覚を与えようとする。
そのためには、神さまにしっかりと波を合わせないとだめ。

やっぱり無限のありがとうございますを本当に捧げる生き方にならないとダメ。
阿弥陀様が長い年月、修行して悟ったと言っても、まだ虚の悟りかもしれない。それでも無限の年月。何億年ぐらいではない。
阿弥陀様は五劫(ごこう)の間修業して悟った何キロ四方いう岩を天人の羽衣がそっとかいて、さっとはいて、削れていく、
何キロ四方の岩が削れるのが一劫無限の年月のこと。五劫の間すごい年月かけて修行してやっと阿弥陀様も悟る
みんながありがとうございます唱えたら悟れる言ってもらって、この一生祈り続けて何億回になったとしても
本当に悟れると思う?自分の幸せだけ願って祈ってるようなお祈りだったら不可能。そんなお祈りは、本物ではない。
同じありがとうございます唱えても、真のありがとうございますの唱え方ではない。威力、力全然ない。
虚の世界抜け出すなんて不可能

だから、本当の真のありがとうございますになるというのは、本心の側に自分が立つこと。
本心側に立って、真のありがとうございますを、本当のお祈りを駆使出来る。
本心側に立つということは、自分のことを考えない。みんなの幸せだけを考えて、何を与えようかと一生懸命になること。
だから、みんなが自分を支えて、同じように助けてくれるから、入れ子構造の相乗効果が起こる。無限倍の助けになる。
だから、悟る。

だから、自分の祈り方一つ。自分の祈り方が間違っていたら悟れない。自分の祈り方が正しくなったら悟れる。
同じ一回でも悟る。一回の祈りで、一瞬で悟れると言うのは、そういう意味。本当に無限倍の入れ子構造の相乗効果が起こったら、
一回の祈りで悟る。そういうお祈りを目指す。だから、みんなのために、何が必要かと考えて、与え尽していこうとする。
それを神さまが、みんなの代わりにしてくれようとしている。そのお手伝いもしなかったら何をするのか?
みんなに代わって神さまが前に出てお手伝いしようとしてくれている。神さまがしてあげようと言ってくれている。
それを誰もお手伝いも何もしなかったらおかしい。自分が全部するのと違う。
神さまがしてくれてるのに、お手伝いもしなかったらいけない。

お手伝いは自分のできることしたらいいだけ。出来ないことをしなさいなんて言っていない。
自分のできることを一生懸命お手伝いしたら、みんなが寄り集まったら、いいことが出来るように、ちゃんとまとめ上げてくれる。
人ごとじゃない。自分が支えようとするから、みんなが支えてくれる。自分の生き方一つで、自分とそっくりさんが、周りに現れる。
自分が逃げていたら、みんな逃げる。誰一人助けてくれない。自分と同じような人が一杯周りに現れるだけ。
今の自分が何の力もなくても、絞り出してでも、何かお手伝いしようとなってこないと。
そうなったら、みんなが助けてくれる。神さまが本当の力を発揮してくれる。どんどん能力を添えて来てくれる。
前向きに、必要なことをしようとしなかったら、何も前に進まない。

自分が全体を掴まないといけない。自分が責任を持って仕上げようとしなかったら、無責任。
神さまが勝手にしてくれているからと無責任になったら、いけない。自分が責任を持ってしようとなった時に、
神さまがどれくらいしてくれているか。周りがどれだけ支えてくれているかが、よくわかってくる。
自分がお客さんになったらわからない。自分が責任者にならないと、何が必要かもわからない。


(平成25年1月25日のお話A)