真のありがとうございます 

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 縁者も、みんなまだ誤解しているかもしれないけど、自分より低い所の縁者と見ているかもしれないけど、
それはマイナスを消す護摩と同じ働き。虚の世界の上の方の自分の守護霊さん守護神さん、救済の神さま、
一番高い神々さま、全部自分の縁者。真実の世界に戻ってもまだ、新しい縁者の神さまが一杯。
その全てに必要なプラスを届けるための護摩。スケールが違う。縁者という言葉も、段階が沢山ある。
そこまで行かないと一大循環の流れの中に入れない。だから、全部が参加する護摩。

護摩焚きでは、働きが全部そろう。一番最初のものから加わってきている。下の働きが無くなったのではない。
下の働きがもう小さくなっているだけ。上に行くほど大きい働きになっているから、下の方は無限分の一くらい、
もっと小さいかもしれない。全体の働きが大きく大きくなっている。大きい光が降り注ぐから、マイナスを消すのは簡単。
だから、マイナスを相手にしないくらいの感覚に変わってきている。もう遠いところにいて、参加したいと願い出た時から、
もう消えている。そういう風に変わってきてる。マイナスはもう、持ってくる前に消える。

まず、天照大御神っていう名前が出た時に、みんな先入観が全部ある。古事記の神話に載っているような、天照大御神様。
それも正しい解釈ではなく、絵本に書いたような感覚の捉え方をする。
女神さまのようなすがたで、人格持って出て来ている天照大御神様っていうけど、これは一番小さい捉え方。
それは、天照大御神様ではない。本物の天照大御神様と比べたら、模型の模型のもう一つ小さい模型のような捉え方。
だから、本物の天照大御神様を理解できるような説明が必要になる。

一番最初は、今世間で言っているように、ありがとうございますさえ唱えたら、奇蹟が起こる、病気が治る、
願い事が叶えられるって、この程度。みんな最初はそう。このありがとうございますは、本当のありがとうございますと違う。
例えば、自分の守護霊さん、守護神さん、護りの救済の神さまが、ちょっとご褒美に飴玉をぽっと与えてくれるぐらい。
病気なんか消すぐらい瞬間。これはもう、ありがとうございますを唱える練習を始めたから、ご褒美にあげようかとね、
病気でも何でも消してくれる。それで喜んでいたら馬鹿。あくまでも、ありがとうございます唱える練習をし始めたご褒美。

自分がしっかりと選んで唱え始めても、まだまだ本当のありがとうございますではない。
これが真のありがとうございますに変わるまで、どれだけ大きい本当の神さまの助けがいるか。
それを順番にしてもらって、真の自分に、本心側の自分に立って、真のありがとうございます、言霊のありがとうございますを
本当に駆使出来る自分になった時から、真の神さまのお手伝い。

護摩焚きも、そういう真の自分が、そういう自分が大勢集まった状態で初めて、
無限倍の相乗効果、入れ子構造的相乗効果っていう。常に無限倍になる大きい働きで、自分一人でも何億人以上を助けるだけの
働きをさせてもらうような働きに変わらないと、世の中は変わらないから。
本当はこの世の人口の数だけを救うのではないから、この世の人の背後に、低い世界に縁者が何十万人いるから、
それを含めて全部浄める。

低い所だけ見てもそうだから、上の高いところを見たらもっとすごいから、その一番上の虚の世界の人をも救わないとダメ。
真実の世界に戻さないと。虚の世界を相手にするだけでもそのぐらいすごいことだから、
あと真実の世界に入ったら、もう一つ純粋な真の神さまの一大循環の働きのお手伝いになって、もっともっとすごくなる。
それは、もう自分じゃないから。真の神さまだけの働きになるけど、そこまで高め上げてもらう。

だから、みんな段々と、真のありがとうございます、言霊のありがとうございますに融け入るようになる。真の神さまに。
言霊という言葉ではなく、真の神さまの中に融け入るようになって来る。本当に純粋に融け入るという感じ。
真の神さまは真の自分、という実感が湧く。ここまで入っていく。それが一番の幸せになる。

お手伝いに生きた時に、融け入る。助けてほしいとか、神さまの助け受けようというのでは、
表面だけ見ていても、まだ無限分の一受けられない。それでは本当の一体感はない。無限分の一の一体感だから。
だから、融け入らないと。融け入って神さまの全てと一つになる。

自分一人だと落ちこぼれる時がある。でも、みんなと一緒に支え合って手を繋いで進んだら、絶対に落ちこぼれない。
みんなが、自分が落ちる時は支えてくれる。自分も誰か落ちこぼれる時は支える。支え合いが、大きい力になるから。
だから、支えるという気持ちは、神さまの本当の働き。一番下から、一番底から、みんなを押し上げて支える、プラスを与え続ける。
一大循環の相象(すがた)そのものが支えるという働き。支えよう、支え合いをしよういうのが一大循環の働きとピタッと合う。

 支え合おうとした時に、支え合いというのは、自分が何かするのではなしに、神さまがそのままスーッと出て来てくれる。
必要なこと自然にさせて下さる。その時に必要だったら出来るようになるから、過去のこの人を誘うというのも、
必要だったらスッと出来る。色んな働きが神さまの方から自然に循環して出てくる。過去の人だけではなく、
全部新たに新たにだけど。常に新たな出会い。神さまの助けというのは、本当は新たな出会い。本当は過去ではない。
全部新たな出会いとして、全部出てくる。過去のその人と掴んでいても、今は新たなその人。

真の神さまは自由自在に何にでも現れる。必要なすがたで色んな形で現れるには、
真の神さまの自由自在な愛の変身のすがたという示し方がいる。
本当は、先生も、真の神さまが、ありがとうございますの祈りの神さまになって、
色んな段階をずーっと来て、段階を追って変化してきている。虚の世界だったら天岩戸を開いた働きも、
光の柱になっているのは先生の体だけど、この肉体っていうすがたも表札みたいな形で要るから、
一応肉体もちゃんと用意して持たせている。これは、別に必要だから少しとっているだけ。
今のみんなに必要だからだけ。他の人に必要かどうかはわからない。

だから、他の人には別のすがたを取っていると見た方がいい。先生の体は、この肉体だけではない。
色んな肉体を自由自在に使っている。色んな神さまも先生の分身になっているから。
だから、元から見たら、みんな真の神さまの一大変身のすがた。必要なだけの変身のすがたで導いている。
観音さんでも、三十三神に身を変じている。一つの観音様のすがたをいつも取らない。
全然違うすがたに変身して、一人ひとりを救い上げていくのだから、真の神さまはもっとすごい。三十三神と違う。
無限の無限のすがたに変身して、救いに立っている。猫になっているかもしれない。帽子に変身して引っ付いているかもしれない(笑)。
神さまは何にでもスッと入れるから、自由自在に神さまがスッと入ったところが、神さまの変身のすがた。

 元から、真の神さまただ一人。これが根本。真の神さまだけになったら、全部真の神さま。
真の神さまの愛の救いのすがた。これを分けてしまったら、真の神さまの他に何かあるように錯覚を起こす。
それを責めたら、真の神さまを責めたことと同じになって、大変なことになる。


(平成25年1月18日のお話A)