真のありがとうございます 

新・勉強会のお話」に戻る


みんな普通、結婚する時、結婚相手を選ぶ時、条件のいい、自分を助けてくれる、
プラスを与えてくれるいい人を選ぼうとする。本当は反対。自分にとって一番大きいマイナスをもっている人を選ぶのがいい。
極端だけど、本当はそう。世界一マイナスの人を選ぶと、その人をやっぱり一生懸命幸せにしようと、与え尽くすのがいい。
そうしたら愛の深い自分に、本心の自分に早く戻る。だから、相手に求めたら損をする。求めたら思いの心になってしまうから。
本心は、本当のプラスを与え尽くそうという自分になれる。

親子で親が小児麻痺の子を持ったりすると、親ってああ大変って思う。五体満足で生まれてくれたらよかったのにと思う。
一生、この子の御守をして生きないとって思う。普通はそう。それは間違い。反対なの。

自分にとって大きいマイナスがあって、本当は来生へ、未来へ、自分がそのマイナスを受けて、
ちゃんと消しきっていかないといけないのに、わざわざ高い神さまが縁を使って、子供の姿をとって、
未来のマイナスを今、取ってくれているとみないとだめ。親は前生の自分のマイナスを背負ってくれるかもしれないけど、
子供は未来の自分のマイナスを背負って消してくれている。そしたら、マイナスではない。
みんな真の神さまの愛の救いのすがたばっかり。だから、プラスに受けるか受けないかだけ。みんな本当はプラスだけ、プラスしかない。

 根本は絶対の中心から本当のプラスだけが降り注いでいる。無限のプラスが一杯。マイナスなんかどこにもない。
マイナスに見えるのは、自分が止めて見て、上から見て、下を見るだけのマイナス。
だから、マイナスの極、一番下に立ったら全部プラスに見えるし、降り注ぐプラスだけを見ていたら、
過去を掴んで止めなかったら、本当のプラスだけが循環して、全部大きい新しいプラスに置き換えてくる。

だから、みんな本当のお祈りの特訓を受けていると思ったら、目の前のマイナスは大きい励まし。
わざと真の神さまがそういうすがたをとって、励ましてくれているという風にみたらいい。化けの皮を剥がせばいい。
徹底してありがとうございますと言えば、化けの皮が剥がれてくる。マイナスは、真の神さまが化けて出ているすがた。
これを真の神さまだと言ったら、もう化けの皮剥がれる。仮面を外して出てくる。

女の子が生まれて、親から虐待を受けて売り飛ばされても、これでも本当は喜ばないといけない。
まだ世界にはそういう所がある。子供を売り飛ばす親がいる。親だから子供を大事に育てるとは限らない。
それは、子供にとっても親にとっても両方、色んな必要な勉強をさせられている。
これも、もっと高いところから見れば、獅子はかわいい子を千尋の谷底へ突き落とす。
突き落として這い上がってくるのを待つという。やさしく引っ張り上げない。百獣の王に育てようと思ったらそう。
自分の力で這い上がって来るのを上から待っている。でもそれは、獅子の子に生まれたらそう。
それだけの力が元から備わっているから。だから、大きい試練を与えてもらう人ほど、魂は高くなっているし、本心が輝いてきている。

お祈りはした方がいいし、いい事だけど、お祈りを邪魔する親は一杯いる。
でも、お祈りを邪魔する親を悪人だと言ってはいけない。反対。もし、自分がお祈りに反対したら、お祈りなんか、絶対できない。
自分が選んでお祈りを反対したら、永遠に不可能。自分の中にお祈りを毛嫌いして、反対する心が残っていて、
それに負けたら絶対にお祈りできなくなる。お祈りするチャンスをちょっとでも与えようとしたら、縁の深い誰かが、
愛の深い誰かが、自分のマイナスを背負ってくれないといけない。
もし親がそれを身代わりに背負って、お祈りを邪魔する思いを背負ってくれたら、その分自分が軽くなったら、お祈りを選べる。
お祈りの実行ができる。それも大きい深い愛の助け。

だから、プラスを与えに来るのもいいけど、マイナスを持って遠くへ行ってくれというのも、
ものすごく大きいプラスの働きになっている。もし自分が一個の山の中にトンネルを一本掘ろうとしてごらん。
穴をずーっと掘ろうと思ったら、自分一人で掘っては運び出し、掘っては運び出しって大変。
掘った堀屑まで出していたら、大変な事になる。時間がどれだけかかるか。でも掘った堀屑を誰かが持ち出してくれたら、有難い。
自分は掘るのに専念して早く穴を開けられる。堀屑を持ち出してくれるのは、みんなマイナスのすがたをとる。
自分にとっては、何か取られたような感覚になる、マイナスを与えられたような感覚になるんだけど、反対。
みんなマイナスを運び出す役目なの。マイナスを遠くへ持っていく役目だから、マイナスではない。
裏返したら自分を大きく助けてくれる愛の働きのすがた。

世の中では歌手とか何でもそうだけど、スターになった人は、有名税を払わないといけない。
有名税っていい名前。なぜか?いい事しても褒められたら徳が消える。それに対していい事していないのに、
みんなから褒め称えられてお金も沢山もらったら、どれだけ大きい借りを増やすかわからない。
その借りを減らしてくれるのが有名税。それで人気が続く。みんなから大事にしてもらうのもそこなの。

一方で大事にしてもらったら、一方で悪口言われて、マイナスがあって当然。そうでなかったら、プラスはなくなる。
だから、この虚の世界はみんなそう。プラスにあげてもらったら必ず、反対にマイナスを清算してくれるところがある。
助けてくれるところがある。

悟りを求めて本当に本心の自分に戻るために、悟りを求めて修行したいと願っても、
自分一人でいくら頑張っても、もうチャンスなんてなかなか与えてもらえない。
みんな大勢の人の代表になって、選ばれて、みんなに支えられて助けられてやっと修行に入れる。
それは一人や二人の僅かな人間の助けではない。大勢。極端に言えば何十万人。
それだけの人が自分のマイナスを身代わりに背負って助けて、その代わりに自分が悟りへの道をしっかりと歩んで、
みんなを助ける恩返しをする。

だから、ありがとうございますのお祈りができる人は、周りが地獄絵図でもいい。
極端だけれども、その位の大きいプラスを与えてもらっているんだからって。
お祈りができるという、そういうチャンスを与えてもらうというのはそう。
だから、周りが地獄絵図でも喜んで喜んで、ありがとうございますと言うのが正しい。
それだけの無限の価値のあるものを与えてもらっている。あとは、真剣にお祈りして恩返しすればいい。
恩返しだけ、恩返しだけって。早くマイナスを背負ってくれた人を、助けないと。大きいプラスを与え続けて消してあげないとだめ。

だから、本当のお祈りは、神さまの無限の無限のプラスを与え続ける事。
しっかりお祈りしたら、与え続ける神さまのお手伝い。みんなのマイナスを全部消して、恩返しができる。
だから、現実がプラスに変わるのを待っていたらだめ。そんな現実のこの世のすがたの移り変わりなんてごく僅か。
大きいプラスを、与えて与えて与え続けて、全ての縁ある世界の、全ての人を救わないとだめ。
この世だけ見たらほんの氷山の一角。無限分の一。極端に言ったらそれだけ小さい。目に見えない世界を見て大きく助けるのが正しい。


(平成25年1月4日のお話A)